米国の食生活絡みで、これも何回もあげてますが、昭和18年(1943年)の『生活科学』という雑誌より。 米軍はこんな良い物を食べないと頑張れないんだぞ、こんな奴らに負けるはずがないという記事です。 https://t.co/nsQ4uGKnk2
![戦前~戦後のレトロ写真 on Twitter: "米国の食生活絡みで、これも何回もあげてますが、昭和18年(1943年)の『生活科学』という雑誌より。 米軍はこんな良い物を食べないと頑張れないんだぞ、こんな奴らに負けるはずがないという記事です。 https://t.co/nsQ4uGKnk2"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fd78417d23e9f660f7a2e75d5246c97af15fe52c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fmedia%2FE-uUIHzVUAI8hTd.jpg)
日本の終戦記念日は8月15日だが、アメリカでは日本が降伏文書に署名した9月2日を「戦勝記念日」としている。そのアメリカに住んでいると、日米開戦の引き金となった真珠湾攻撃について尋ねられることがある。ニューヨーク在住で日米中の歴史に詳しい作家の譚璐美氏は、つい先日もそんな質問を受けて……。 留学前に日本の歴史を学ぼう コロナ下の東京オリンピックが終わり、間もなく終戦記念日がやってくる。日本では8月15日、ラジオで昭和天皇が玉音放送を行い、「ポツダム宣言」を受諾したことを国民に告げた日を終戦記念日としている。これに対してアメリカでは、9月2日、東京湾に停泊した米戦艦ミズーリ号の甲板で、日本が連合国軍に対して降伏文書に署名した日を「戦勝記念日」としている。 私が長年アメリカに住んでいるせいか、日本の大学生からしばしば、「アメリカへ留学したいのですが、どんな準備をしたらよいですか?」と聞かれること
朝日新聞フォトアーカイブが12月18日、ツイッターに投稿した女子挺身隊の写真について、たくさんのご指摘をいただきました。 この写真について、弊社で検証した結果、構図などから、戦時中に撮影し合成された写真と判断しました。当時の様子を伝える写真としてこの写真を選び、以下のコメントをつけたことは極めて不適切なものでした。 「弊社には、1944年に増産のため工場へ出勤する女子挺身隊の写真が残っていました。『男たちは戦場に駆り出され、国内の労働力は不足していた』とありました。」 上記のコメントを取り消した上でお詫びいたします。 この写真は、週刊「アサヒグラフ1944年10月25日号」、朝日歴史写真ライブラリー「戦争と庶民 1940~49」(朝日新聞社・1995年)に掲載されたものです。戦時中に撮影されたものであり、撮影者や経緯は不明です。数多くのご指摘を頂いた通り、同じ顔や大きさが不自然な顔があるな
第二次世界大戦における旧日本軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。かつて陸軍航空本部映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。 インパールを知らぬ世代、必読! シリーズ第3弾『全滅・憤死 インパール3』より、インパール盆地の湿地帯に投入された戦車支隊の悲劇を描く「全滅」の冒頭を一部紹介する。 (全3回の1回目。#2、#3を読む) ◆ ◆ ◆ 早々に過半の兵力を失う状況下で流れた噂 それまで勇将として畏敬されていた将軍が、暴将とか狂将といった評価に急変した。 ビルマ方面の日本軍を指揮した、第15軍司令官・牟田口廉也中将である。 昭和19年3月、多くの反対を押し切って、牟田口軍司令官がインパール作戦を強行した時は、一部で
731部隊にいた10代の少年兵たち 「任務が終わった夜に同期の友人と会うと、お互いの業務内容を話していました。『今日は人体解剖をした』『軍用犬に細菌兵器を運ばせる訓練をしている』なんて人もいましたね。まだ10代でしたけど、当然施設内で生物兵器を作っていることも知ってましたよ」 たった14歳で731部隊に入隊した元少年兵の須永鬼久太氏(92)はこう語る。 関東軍防疫給水部本部、通称「731部隊」。満州のハルビン市近郊に拠点を構え、表向きには兵士の感染症予防や安全な給水システムに関する研究を行っていた。しかし秘密裏に非人道的な人体実験を繰り返し、実戦での使用を目指して生物兵器を開発していたとされる。 14歳から17歳という多感な青春時代を、須永は「日本陸軍史上もっとも残虐」とされる部隊で過ごした。戦後75年が経ち、731部隊の実情を証言できる元隊員は少ない。満州の地で、彼はいったい何を見たのだ
ある日、母親の遺品を整理していると、押し入れにあったトランクの中から古いレコード盤を見つけた。自宅にあったプレーヤーにかけると、懐かしい兄の声が流れ始めた。「父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして長い間育んでくれた町よ、学校よ、さようなら。本当にありがとう」「僕は、もっともっと、いつまでも、みんなと一緒に楽しく暮らしたい...
間違った例えは止めよう コロナに関する政策に、竹槍で B29 を爆破みたいな話だ的な批判をたまにみるようになってきた。私もわりと子供の頃に、戦時中ヤケクソになった日本人は竹槍で B29 をブッ壊そうとしていたといった話を聞いたことがある。その時はへーって思ってわけだけど、最近になって戦中戦後の新聞を読むうち、あれって嘘だったんじゃないのかなと感じるようになってきた。そんなわけで自分で少し調べてみたら、やっぱりこれは有り得ないような話だなといった感じだった。実は先に調べている人たちは沢山いて、ググったら結論はすぐに出るんだけど、ここでは私が調べたことについて記録しておく。 そもそも私は明治の文化を調べていて、かって日本人は合理的、科学的に考え行動しようとしていたことを知っていた。これについては本にしてまとめたので、興味がある人は読んでみてください。 簡易生活のすすめ 明治にストレスフリーな最
第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通…
융 @yoonjj10 堀越さんがやった事は被害者を加害者と呼ぶのと同じ事です。子供たちも読む漫画です。今後ヒロアカを読んだ子供たちに「'丸太'の意味知ってる?」と聞いたら「あ、ヒロアカに出てる悪いヤツ」と答えるでしょ。犠牲者が何で悪い者扱いされなきゃダメですか?説明してください。 2020-02-03 03:18:48 🌌긤🌌 @mentalnagam 2月3日付ジャンプに載せられた「僕のヒーローアカデミア」259話で、通称「ドクター」と呼ばれたヴィランの名前が「志賀丸太」とあることが明らかになり、問題になっています。 「丸太」とは、第二次世界大戦当時日本731部隊の非人間的生体実験に命を失ったアメリカ人、中国人、韓国人、ロシア人などを 2020-02-03 03:03:32
作家・演出家の鴻上尚史氏が、あなたのお悩みにおこたえします! 夫婦、家族、職場、学校、恋愛、友人、親戚、社会人サークル、孤独……。皆さまのお悩みをぜひ、ご投稿ください(https://publications.asahi.com/kokami/)。採用された方には、本連載にて鴻上尚史氏が心底真剣に、そしてポジティブにおこたえします(撮影/写真部・小山幸佑)この記事の写真をすべて見る ※イメージ写真 鴻上尚史の人生相談。「帰国子女の娘の、個性的な洋服がクラスで浮いた存在に」と相談者。娘に普通の服を買ってあげるべきか悩む母に、鴻上尚史が答えた生き延びるための戦略とは? 【相談2】「帰国子女の娘が潰されそうです」(相談者:38歳 女性 フォトグラファー) 小学校5年の娘がいる母親です。夫も私も写真家で、半年前までの6年間、家族はアメリカに在住していました。娘はおしゃれな夫の影響を受けて洋服に興味
新聞は戦争責任をどう取るのか。1945年8月15日の終戦を境に、毎日新聞の記者たちはそれぞれ葛藤を抱えることになった。その中で、ひときわ先鋭的だったのが、「白紙新聞」を発行した西部本社(北九州市)の高杉孝二郎編集局長だ。 九州と山口県西部を発行エリアとする西部本社に、ポツダム宣言受諾の情報がもたらされたのは8月13日。「毎日新聞百年史」によれば、高杉氏はそれを知ると辞表をしたため、次のような進言書を添えて会社に提出した。「戦争を謳歌(おうか)し、扇動した大新聞の責任、これは最大の形式で国民に謝罪しなければならない。本社は解散し、毎日新聞は廃刊、それが不可ならば重役並びに最高幹部は即時総退陣する」 けれども、当面の新聞は出さなければならない。高杉氏は部下と相談し、終戦の詔勅など公的機関の発表と事実の推移のみを載せ、戦中のストック原稿は使わないことにした。 その結果、終戦翌日から5日間、西部本
前回記事(「戦争で片足を奪われても『政府の謝罪も補償もナシ』という日本の現実」)では、第二次世界大戦で被害を受けた人々のうち、元軍人だけが優先的に補償を受けている実態を紹介した。 この状態は今後も維持されるべきだろうか。戦中・戦後の国策をたどりながら、「日本政府の責任」を考えてみよう。 一般市民も「命を捨てろ」と命令された 命がけで戦う軍人が優先的に国から補償を受けるのは当然だという意見もある。しかし、敵から直接の攻撃を受けるという点では、空襲下の一般市民も同じである。 それだけではない。一般市民も政府から「命を捨てて御国を守れ」と命じられていた点で軍人と共通する。 1943年8月発行の政府広報誌「写真週報」には、「私達は『御国を守る戦士』です。命を投げ出して持場を守ります」という「防空必勝の誓」が掲げられている。 左のページには、鉄カブトをかぶった防空用服装が図示され、「われわれは一億一
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