さすが慶大生賢いこと言わはる https://t.co/8DWTE0nHjo
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大学での研究に関わる者です。私の主観に基づいた拙文ですので軽くお読み捨ていただけると幸いです。 まず、研究に向かない、ということは全く恥ずかしいことではないです。 アカデミックな研究の場合、私の主観では適性がある人が1割(最終的には自分一人で研究ができる人)、可もなく不可もない人が7割(最終的には誰かが道筋を決めてあげれば研究できる人)、適性がない人が2割(最後までかなり細かく指示を出さないと研究ができない人)ぐらいです。 大学や研究室によってこの割合は変わるのでしょうが、いままで居た大学で研究に適性があると思った人はやはり1割前後ぐらいでした。(東大でもそうでした。) で、この適性がある1割というのは、頭の回転の良さや思考の深さではなく、その人の性格によってほとんど決まっているように感じます。 その性格としては、図太く、楽観主義的で、かつ超強烈な自我をもっている人がほとんどです。 大学で
「サッカー台」という言葉があります。スーパーマーケットなどにある、購入した商品を袋詰めするための作業台をいいます。まあ、業界用語です。「サッカー」は”sacker”で、「袋詰めする人」という意味ですね。「指サック」の”sack”です。 ……とずっと思い込んでいたのですが、先日「作荷台」と書かれた掲示を発見しました。 (2016年7月16日 ドン・キホーテ吉祥寺駅前店) 私はこの表記を初めて目にしたもので、「なんと上手い当て字だ」と感心したのですが、この「作荷台」という表記も、どうやら広く使われているようです。知りませんでした。 こうなると、「作荷台」のほうが古くからある表記だという可能性も考えねばなりません。もし「作荷台」のほうが古ければ、私は長らく勘違いをしていた愚者だと認めざるを得ません。果たして「サッカー台」と「作荷台」、どちらが先に現れたのでしょうか。 Wikipediaは信用なら
Chamelco@グアテマラで民泊オープン準備中(ケクチ語たん) @contrail_skyblu @yamazaki_jp ロシア語のこういう文字読む技術は無意識的に小さいときから読んでるゆえの賜物なんですかね💦適当に書いた波から字を読み取っちゃう🤣🤣ていうかそれを実験されたの面白い🤣🤣🤣🤣 2019-12-13 22:43:32 栞 @nordic_life_jp @contrail_skyblu 日本人が書いた漢字と同じで知ってる単語とかはやや違ってても脳が認識できる、みたいなアレかな〜と勝手に思ってます。笑 要は経験(慣れ)だと思いますが、波からでも普通に読めちゃったのは流石にネタバラシで一緒に笑いました、、😂実験に協力してくれた友達に感謝です、、 2019-12-13 22:49:26
ラノベのタイトルみたいな記事を書く、という夢が叶いました。 github.com 開発に至った動機 以前から、アマチュアの小説はプロに比べると、描写不足な傾向があるのかもしれない、と思っていました。 特に不足がちだと感じるのは「時間」に関する描写です。 季節がわからなかったり、昼か夜か、平日か休日かみたいなことが不明瞭な作品が多い気がします。 しかし印象だけで語ってもアレなので、実際に差があるのかどうかを計測してみました。 計算式は、 時間描写の文の数 * 時間描写分布のエントロピー / 文の数 です。 「時間描写分布のエントロピー」というのは「全体を通じて、どれだけ満遍なく時間表現が書かれているか」という数字だと思ってください。 例えば時間描写が冒頭部にしかなかったりすると数値が小さくなり、全編を通じて満遍なく描写されていると、数値が大きくなります。 あと時間描写というのは、一応「季節、
指針への理解 文化庁の文化審議会漢字小委員会が漢字に関する指針(案)*1を作成しました。 どのような内容か、ちょっと読売新聞を引用して述べますと、 漢字の手書き文字について、「はねる」「とめる」など細かい違いで正誤はなく、多様な漢字の形が認められていることを説明する*2 というもので、具体的には画像のようなものです(画像は2.29読売新聞夕刊より)。 つまり、「とめ」「はね」など些細な違いで漢字の正誤を判断するのは誤りであるから、それを説明する指針を作ったわけです。また、これは、学校教育などでも柔軟に評価するように求めています。 すこし結論めいたことをいうと、漢字を厳しく採点するのは教員間で徐々に出来上がった代物であり、それに全く根拠はありません。実は、細部にこだわらなくてよいということは、文部省時代から60年以上にわたって述べられていたことで、どちらかというと教員の方がそのことを理解せず
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