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(社)土木学会 会長 阪田 憲次 (公益社団)地盤工学会 会長 日下部 治 (社)日本都市計画学会 会長 岸井 隆幸 「東北関東大震災-希望に向けて英知の結集を-」 北国にもようやく春の訪れが感じられる頃、3月11日の昼下がり、突然の揺れと狂暴な津波が襲来し、日本の故郷である東北地方を蹂躙し、関東地方など周辺地域にも大きな爪あとを残した。そこで営まれていた人々の生活も思い出も、家とともになぎ倒され、根こそぎ押し流された。そして、尊い、多くのいのちが失われた。深い悲しみと喪失感は、わが国のみならず全世界に拡がった。 犠牲になられた方々に対し、衷心より冥福をお祈りするとともに、被災者の皆様方に対し、心よりお見舞いを申し上げたい。 現在、被災地において、寒さと生活物資の不足に苦しみながらも雄々しく立ち上がろうとされている被災者の皆様、それらの人々を支えて苦闘されている方々、特に、原子力発電所にお
これほどの激震に襲われた場所になぜ、原子炉の設置が許可されたのか-。中越沖地震で、阪神大震災と同じ最大で震度7を記録した東京電力柏崎刈羽原発。国は1977年、専門家による安全審査の審議を経て1号機の設置を許可した。しかし、中越沖地震の揺れは設計時の想定を大幅に超えた。さらに周辺海域に大規模な活断層の存在が明らかになったことによって、国による安全の「保証」は大きく傷ついた。非公開で行われ、厚いベールに覆われてきた31年前の安全審査。かかわった人物の証言を基にその実態を検証する。 「そういうことなら辞めさせていただきます」 77年、東京・霞が関。柏崎刈羽原発1号機の耐震安全性を審査する場で突然、予想もしなかった発言が出た。それを、科学技術庁(当時)の原子力安全審査官だった塚腰勇(69)ははっきりと覚えている。審査は大詰めを迎えていた。 発言の主は審査メンバーの1人で東京大学地震研究所助教授
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