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2009年3月1日のブックマーク (6件)

  • NAOSITE : Nagasaki University's Academic Output SITE: ミクロ・マクロ問題 - 解決を「超えて」

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  • 因果論的な機能主義を説明する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    shokou5さんの質問に答えます。かなり大雑把な説明です。とはいえ、記事を書いたはいいけれど、はっきり言って分かりにくいです。理解できなくてもあまりがっくりされなくて平気です(こちらのせいです)。もちろん、私の理解が間違ってる場合もありますので、そこは各自のご判断でお願いします。 因果論的な機能主義の理論的側面 id:shokou5さんの疑問に関連させると、デヴィッド・ルイスの機能主義の定義が相応しいかもしれません。デヴィッド・ルイスは可能世界論で有名な哲学者で、可能世界論を用いて機能主義を定義しています。環境を固定させた上で、主体の状態を変化させたときにその主体がどのような反応をするかでその主体の心的状態を機能的に定義してみます。例えば、全ての環境を固定させた上でその主体の内的状態を変化させたときに、その環境下でその(特定の状態にある)人が目の前にあるケーキをべるかどうかを確かめると

    因果論的な機能主義を説明する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    oanus
    oanus 2009/03/01
    > *5 / 世界とか環境とか状態とか出入力とか,その辺の概念が散らかりすぎてるだけのような
  • アフォーダンス関連の翻訳と引用から - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    まずは、ジェイムス・ギブソンの主著の一部を自分で翻訳(これでも意訳気味)してみました。 まとめ 媒体、物質、表面、対象、場所、他の動物はある動物に対するアフォーダンスを持っている。それらは、利益や危害を与えたり、生や死を与えたりする。これこそがそれらが知覚される必要のある理由だ。 環境のもつ可能性とその動物の生活の仕方はいっしょで切り離すことはできない。環境には動物ができることが含まれており、生態学におけるニッチという概念にはその事実が反映されている。限界の範囲内において、人間種は環境のアフォーダンスを変えることが出来るが、それでもある状況の下にある生き物なのだ。 物の物体的特性に対して刺激の中の情報が存在し、さらに思うに環境の特性に関する情報が存在する。私たちが物事の意味を学ぶことが可能になる前に私たちは物事のもつ変化間の違いを見分けていなければならない、ということを導く原則は疑わしい。

    アフォーダンス関連の翻訳と引用から - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    oanus
    oanus 2009/03/01
    結局ユクスキュルが言い尽くしてるような.
  • 日経サイエンスの進化論特集を読んだ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    進化心理学への批判記事があるというので楽しみにしてたけど、なんか物足りない。進化論特集なのに紹介記事でなく批判記事ってところにどんな意図があるのかはよく分からないが、そこはとりあえず脇に置く。 この記事の著者は、進化心理学にも科学的に慎重な研究もあるとしながらも、一般に流行ったものに対してはポップ進化心理学と茶化した呼び方をしていたのだが、その文献表の中には(デヴィット・バスなどに混じって)ピンカーやトゥービー&コスミデスの(90年代の)有名な著作が挙げられていて、近年における進化心理学の進展に批判的だった私でさえ違和感があった。同じピンカーならもっとひどいのがあるだろうし(残念ながら"The Blank Slate"は褒められたものではない)、だいたい"The Adapted Mind"が駄目なら進化心理学の根幹が駄目になるんじゃないのか。でも私から見ても、著者はこうした正統派の進化心理

    日経サイエンスの進化論特集を読んだ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    oanus
    oanus 2009/03/01
    "真っ当な進化心理学" の人からすると,いまさら "ポップ進化心理学" の話をされてもつまらない,ということらしい
  • YouTube - Bear attack

    Bear attack

    oanus
    oanus 2009/03/01
    なんで妹だと思って蹴って助かるのかわからない.
  • 現在の社会における大学・卒業研究の位置づけ - 発声練習

    研究に興味ない学生にとって卒研は不要という意見のメモ。私としては研究を構成する考え方、やり方は日常生活や一見研究と関係のない仕事の中でしょっちゅう出てくるものだと考えているので「研究」という過程を自分とは全く関係ないものとして扱うやり方が不思議でしょうがない。 クリティカルリーディング(批判的にを読む方法の理解)、論理的思考法(演繹的思考法、帰納的思考法、仮説生成的思考法とこれらの思考法の限界の理解)、証拠に基づく議論術、技術文書作成法、あと研究分野によっては協調的作業の経験など、ホワイトカラーと呼ばれる職種で要求されている能力そのものに思えるけれども価値がないのだろうか。まあ、実際には、これらを明確にかつ体系的に教えられているのではなく、卒業研究を通して暗黙にかつ断片的に学び取らせているという点が問題なのだと思うけど。 以下、私の過去のエントリーを含めて関係ありそうなものを抜き出し。

    現在の社会における大学・卒業研究の位置づけ - 発声練習
    oanus
    oanus 2009/03/01
    *なんて人生の役に立たないし勉強する必要ないよ,とか言っちゃうアレ (*は算数でも国語でもなんでもどうぞ) / もちろん同じ時間で何をしたいと思うかは自由なんだが,今お前はどこにいるんだっていう.