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ブックマーク / tchiba.hatenablog.com (2)

  • 石巻から東京へ神田から渋谷へ - 赤色立体地図weblog

    宮城県の石巻で生まれ育った。そして18歳で上京した。市内に大学はなく、進学するには、遠く離れた都会の大学にいくしかなかった。屋さんのブルーバックスの中が、優れた知性との接点だった。東京には、仙台の大きい屋さんよりも、もっと大きな屋さんがあって、神田といういうところには、屋さんだけの町があると聞いて、どきどきしていた。 だから、大学入試のために東京に行ったとき、最大関心時は「神田の古屋街」だった。そこに、行きたいと思って、国電の神田駅で降りて交番で尋ねた。おまわりさんは、信号の数で13個先の交差点のあたりだと、西の彼方を指して引っ込んでしまった。西に進んではみたものの、交差点ごとに信号が4つもあって混乱し、3つ先の交差点でうろうろしたりした。 それでもなんとか、三省堂書店という大きな屋さんに着き、夢の世界にいったように興奮して帰ってきた。その屋さんには、1/2.5万地形図がいっ

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  • 雲仙岳噴火 - 赤色立体地図weblog

    雲仙は1990年11月17日に197年ぶりに噴火を始めた、最初は普賢岳の頂上にある地獄跡火口からの水蒸気爆発であったが、徐々にマグマ性に変化し、やがて火口周辺に降下した細粒火山灰の影響で土石流が発生するようになってきた。そして5月20日、地獄跡火口からマグマそのものが頭を出した。溶岩ドームの成長の始まりだった。山の上の急斜面の縁にある小さな火口から1日あたり30万立方メートルのマグマが出始めたのだ。しかも、このマグマは粘性が高かったから、溶岩流となって流れ出すことはなく、溶岩ドームとして不安定な山頂にどんどん成長をはじめた。やがて火口を覆い尽くした溶岩は、斜面の上部に不安定な形で乗る状態となった。5月26日、その一部が崩壊し、下流側の斜面の谷底に入って大きな噴煙を上げながら走った。これが最初の火砕流であった。 この溶岩ドームの成長速度を計測することが、すなわちマグマ噴出レートに他ならず、写

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