タグ

2019年5月20日のブックマーク (6件)

  • 熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている

    東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生(@skumagaya)による、自閉スペクトラム症(ASD)についての論考が、週刊医学界新聞に寄稿されていました。 自閉スペクトラム症(ASD)、アスペルガー症候群(AS)は、コミュニケーションや社会性の障害があると言われますが、実際には多数派に馴染めない少数派であるだけなのではないか、という考察が展開されています。 社会性やコミュニケーション障害の解明│医学書院/週刊医学界新聞(第3136号 2015年08月03日) 多数派に馴染めない少数派は「障害」とみなされる 熊谷晋一郎先生は、パートナーのASD当事者の綾屋紗月さんと共に、障害者の立場からの当事者研究という概念を広めておられる方です。 自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorders;ASD)は、DSM5によると、 ■社会的コミュニケーションと社会的相互作用

    熊谷晋一郎先生による自閉スペクトラム症(ASD)の論考―社会的な少数派が「障害」と見なされている
    obsv
    obsv 2019/05/20
    “ASDの人が「障害」とみなされるほどの生きづらさを感じたり、二次的に病気を発症するとしても、それは、本人の問題なのではなく、彼らを受け入れようとしない社会がもたらすストレスなのではないか”
  • 車の運転って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 拝徳

    車が暴走して親子を跳ねた、バスが歩行者を跳ねた、幼稚園児を跳ねた、踏み間違えて突っ込んだ、そんな痛ましい事故が日々おきて悲しい気持ちになる。 そしてつくづく思うのは車の運転とは難しいということだ。 都内に住んでるとびっくりするくらい車に乗る機会がない。免許こそもっているが乗る機会がほとんどない。たまにレンタカーのるけど、あまりにも乗らなすぎてわからないことある。 誰かが言っていたけれど、東京都内は移動の概念が時間に変わった、都市だと言っていたけれどそうだと思う。僕ももう10年近く東京に住んでいてここから渋谷まで何キロ、東京まで何キロって言われてもわからないけれど、ここから渋谷までは電車で40分という時間はわかるので距離が時間の概念に変わっている。渋谷まで何キロって言われると全然距離感がわからない。 そして何より車の運転は楽しくない。スマホ触れない、寝れない、お酒飲めない、事故リスクもある。

    車の運転って難しすぎない? なんで社会で許されてるの? - 拝徳
    obsv
    obsv 2019/05/20
    確かに、操作機構は人間工学を考慮してない20世紀の異物ではある。
  • 「それ、何の役に立つの?」と言われたら - kobeniの日記

    40代の女性が、最近チェロを習い始めたら、どうせこの歳で始めてプロになれるわけでもないのに、「何の役に立つの?」と言われた。というツイートを見ました。なんとなく、人ごとではないと感じました。というのも私は40歳になった去年の秋から、全く未経験の習い事を始めたからです。また三年くらい前から、小学校の時以来の絵を描き始めて、特に学校には行っていませんが、今も飽きずに描いてます。趣味があまり長続きしない私にしては珍しいです。 絵については、最初は自分のブログに挿し絵を入れられたらいいな、だからデジタル絵を始めよう。というのが動機でした。自分の絵が大したことないのは、さすがに大人なのでわかるし、今も特に絵でお金を儲けようとは思っていません。ただ、平日仕事で使う脳みそが、分析だったり仕事自体のフローを描くことだったり、ロジックで進めることが多い中で、どうも絵で使う脳みそはぜんぜん違うところらしく、休

    「それ、何の役に立つの?」と言われたら - kobeniの日記
  • 「自己責任」とか言う人に、これからは「江戸時代の村人と同じだね☆」と言い返そうと思います。 | ハフポスト

    毎週のように新ネタが出るような状態なのですべてを追いきれていないが、私にとって片山さつき氏と言えば、「ザ・自己責任」の人。小泉純一郎が言い出しっぺなら、片山氏は、その言葉を全国に流通させ、弱者の口を封じた人である。 2012年、お笑い芸人の母親が生活保護を受給していることが報道された際にはそのことを政治の場で大々的に取り上げ、メディアでは「生活保護を受けることを恥と思わないことが問題だ」などと繰り返し発言。生活保護バッシングの火付け役となり、また自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の一員として、「生活保護費削減」を主張 (のちに第二次安倍政権で実現されてしまう)。メディアも巻き込んだ激烈な生活保護バッシングは当事者を追い詰め、そんな中、自ら命を絶ってしまった人もいる。 15年、「子どもの貧困」をテーマとしたNHKの番組に出演した女子高校生にネット上でバッシングが起これば、すぐさま

    「自己責任」とか言う人に、これからは「江戸時代の村人と同じだね☆」と言い返そうと思います。 | ハフポスト
    obsv
    obsv 2019/05/20
    "日本人が冷たいのって今に始まったことじゃなくて、ずーっと前から自己責任社会だったんだ、ということがよくわかる。" "「自己責任バッシング」のディテールが、今のネットでのバッシングとほとんど変わらないのだ"
  • 海外の日本研究では絶対に勉強するという「日本の自己責任論」 どこがそんなに変わってるの?

    Helium🎈 @heIium_com 昨日、ドイツ人留学生とフランスに留学していた日学生の2人とブレストしていたんだけど、彼らによると、フランスでもドイツでも、「自己責任論」というのは日独特のものということで、日研究では必ず独立した項目として授業をやるらしい。非常に特異に感じるコンセプトのようです。 ekeisan @ekeisan @hamemen はっとさせられるご指摘です。すぐ連想するのは日での「個人主義」とかもフランスやドイツの人々からは同じように奇異に映るのではないかということです。反省を含めて考えることにします。ありがとうございます。 がび【お知らせ専用】 @gaby6100 .@hamemen 強姦被害者に「そんな格好でそんな所にいるのが悪い」犯罪者の親に「そんな子供を作ったのが悪い」日人捕虜に「そんな危ない所に行くのが悪い」というのは、自分以外の「誰か」の責任

    海外の日本研究では絶対に勉強するという「日本の自己責任論」 どこがそんなに変わってるの?
  • 貧困救済に対する冷たさは日本の歴史的特徴/木下光生「貧困と自己責任の近世日本史」

    歴史は時に残酷な事実を突きつけることがある。 木下光生「貧困と自己責任の近世日史」がその代表例と言え、 「21世紀の日は、なぜ、かほどまでに生活困窮者の公的救済に冷たい社会となり、異常なまでに「自己責任」を追求する社会となってしまったのか。」P9 という問題意識から、 主に江戸時代の村社会の史料を読み解くことで、歴史的な考察を試みるのだが…。 浮かび上がったのは、過去の日は助け合いの社会というイメージを覆すものだった。 「各家の自己責任が前提とされていた以上、村の公的救済も臨時的なもので良しとされ、ゆえにそれが「ダダで救う」ような施行という形式をとった場合、受給者は村に迷惑をかけた者としてあつかわれ、屈辱的な日常生活を強いるような厳しい制裁がくだされていったのである。近世日社会は、自己責任観を強烈に内面化していたがために、公権力も含めて社会全体として、生活困窮者の公的救済は臨時的、