上を電車が行き交うガード下。頭がぶつかるほど低い、これぞ珍風景といったガードが東京には何カ所もある。そんなはた迷惑なガードがあるのには、鉄道の歴史や周囲の地形、公共事業の推移などさまざまな要素が絡み合っている。そのいくつかを追ってみよう。 まず東武伊勢崎線牛田―北千住間にある桁下1.6mしかない名称不明の自転車・歩行者用ガード。重厚な煉瓦(れんが)積みの部分もあり、歴史を感じさせる。1902(明治35)年の線路開通時に造られたものと思われる。以前、JR品川―田町間、品川新駅周辺の大規模再開発で消滅カウントダウン状態の高輪橋架道橋を紹介したが、それに匹敵する珍風景のガードといえるだろう。しかもむきだしの煉瓦に直接触れられるなど、歴史を肌で実感できる。 もともとは水路だった? こんな低いガードを作るより、ここでは踏切としたほうがよほど簡単に思える。なぜこんな低くて狭いガードを作ったのだろうか。