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2009年1月4日のブックマーク (5件)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    写真で振り返る京都旅行 先日文学フリマ京都8に参加するため初めて1人で京都へ行ってきました。随分時間が経ってしまったのでもうブログにまとめなくていいか、と思っていましたが、せっかくなので写真をメインに記録しておこうと思います。 出発▷▶︎▷▶︎わくわく新幹線! 新幹線初心者すぎてか…

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    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/01/04
    掘り下げた考察。トラバどうもです。/「貧しいからこそ支え合うために結婚する」は、小倉千加子の『結婚の条件』で指摘された低所得層の「生存結婚」に当たるかなと思った。
  • 優しい子がヤリマンになるのかな?

    不特定多数の男性とセックスを繰り返し、特定の彼氏を持たない女の子と知り合った。 「何で好きでもない男にやらせるの?」 「だって私のことが好きだからしたいって言ってくるのかもしれないし」 「たとえ好きでなかったとしても、セックスしたら好きになってくれるかもしれないし」 「好きになってくれなかったとしても、その間だけでも私のことを愛している、必要としているってことだから」 「愛撫してくれる、抱きしめてくれる、キスしてくれる。そうしてもらえるだけでも幸せ」 「私の体にそれだけの価値があることの証明だから」 「あなたが今後誰かを好きになった時、あるいはあなたを好きになってくれる人が現れた時、 その人があなたが多くの男に体を許していることを知ったら、あなたは後悔しないかな?」 「・・・好きでもない男の人とセックスしてきた汚らわしい体を差し出すのは失礼かな」 「・・・でも、断ったら、私を求めてくれたそ

    優しい子がヤリマンになるのかな?
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/01/04
    「〜してくれる」というのが多い。すごく自己評価が低そうに感じる。承認欲求を一時的に満たす方法としてセックスにしがみついているのかも。「優しい」のとは違うね。
  • 女はいつ体を許すべきか。

    男性と二人で飲みに行った。この日初対面。帰り際、家に来ないかと誘われた。呑んでいる最中彼女がいるという話は聞いた。どーいうつもりだろう?やっぱりHしたいのかな?ついて行った。家の中でいろいろ見物させてもらう。彼は座ってを読んでいる。じーっと見つめてると視線に気づいて「何?」「・・いや、なんで何にもしないのかなって(微笑」「え、何で、何かしなきゃいけないの?」「・・・警戒している?私が、彼女との間に入り込もうとしているんじゃないかって」「そういうことはさせないよ(キッパリ)」「(苦笑)そんなことしても意味ないでしょ。」これまで出会った男の人は、こんなに何もしてこないことがなかったのに、何でこの人は何もしないんだろう?と不思議になる。 「ベッド借りてもいいですか?」ごろんと寝っ転がった。 「こっち来ないんですか」彼は無言で隣に座った。 二人でベッドに寝転んでいるのに、彼は何もしてこない。「肩

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/01/04
    今の若い女性も「体を許す」という言い方するのか‥‥と思ったのでブクマ。「許可してやる」って感覚だから後でいろいろ悩むんじゃないかと思ったりする。
  • オナニーと私と疑問

    私は女子大生。 初めてオナニーをしたのは小学5年生のとき。 オカズは父親のエロだった気がする。 ベッドの中でドキドキしながらエロを読んでいると, だんだんムラムラして下半身がムズムズしてきた。 これはいかんと思い,とりあえず布団をはさんで快感の赴くままに下半身をこすりつけた。 当時オナニーだとか一人エッチだとかいう言葉を知らなかったので,「布団ごっこ」と名づけて毎晩行っていた。 「布団ごっこ」をはじめて1週間が立った日,私は生まれて初めて"イク"という経験をした。 なんというか,下半身から脳にかけて電流が走るようで パンツがびしょびしょになって,局部がビクビクして, 息もできなかった。何が起きたのかもわからなかった。 ずっとこの感覚が続いて,元に戻らなかったらどうしようと子どもながらに不安になりつつも 布団ごっこの素晴らしさに打ち震えた。 それから10年。 今でも週に2〓3回(それ以上

    オナニーと私と疑問
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/01/04
    昔の自分が書いたのかと思った/私は小4で「主婦の友」のセックスお悩みコーナーだったけどね!オナニーばんじゃい!!
  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/01/04
    斎藤環には「内外」を安易に切り分ける視点しかないという話。実作と批評を両方高いレベルでやってきた岡崎乾二郎には、なかなか敵わないだろうなぁ。