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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (9)

  • 映画を体系的に理解するための7作品 - ハックルベリーに会いに行く

    はじめに最近クリエイター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の映画(特に80年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。例えば「キューブリックをどう思う?」と聞くと、「キューブリックって誰ですか?」という答えが返ってくる。「デ・ニーロの映画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の映画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「テレビでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。 今の若い人の間では、映画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてジャンルごと理解しようとする人はほとんどいない。これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。映画は、もう長いこと(20世紀の早い時期から)エンターテインメン

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/11/28
    大風呂敷広げ過ぎはいつものこととして、選択されてる映画の面白さがちっとも伝わってこない。だいたい7本て無謀過ぎる。70本とは言わないが、せめて20本くらいは挙げてほしい(80年代以前で)。
  • 才能がありすぎても美術はうまくいかない - ハックルベリーに会いに行く

    このエントリーを読んで知り合いのNくんのことを思い出した。才能のない子にどうやって美術への進路を思いとどまらせるかNくんは一種の天才で、生まれた時から絵が下手だった瞬間がないらしい。彼はそもそも両親がともに芸大の美術学部出身で、美術にまみれるようにして生まれてきた。彼が絵を描き始めたのは保育園のお絵かきの時間の時なのだけれど、その瞬間からもう上手くて上手くて、両親からは絶賛の嵐を受け、逆に保育園では上手すぎてあまり理解されなかったのだそうだ。Nくんは絵に関しては色も線も形も初めから良かった。味があったし、美とは何であるかということについて、幼児ならではの直感で究極的な正解に肉薄していたらしい。技巧はもちろんまだまだ足りなかったが、線をどのような太さでどのような味わいでどのような色でどのような長さで描けば、面白くなったりあるいは美しくなったりするかというのを感覚的に知っていたのだ。Nくんによ

    ohnosakiko
    ohnosakiko 2009/04/09
    才能がありすぎたからうまくいかなかったんじゃなくて、動機づけが違ってたからじゃないのかな?
  • 芸大に受かる受験絵の描き方 - ハックルベリーに会いに行く

    はじめにもうそろそろ11月になるけれども、受験勉強もこれからがいよいよ佳境というところだろう。そしてそれは、美大の受験生にとっても同じはずだ。美大の受験生にとっては、これからの数ヶ月間の過ごし方が当にだいじになってくる。 ただし絵というのは(特に受験に必要な「受験絵」は)、普通の勉強と違って、きっかけさえ掴めれば一夜にして上手くなる。一皮むければ、一気に合格圏内に突入できる。だから、だいじなのは「そのきっかけを掴むこと」だ。それは鉄棒の逆上がりのようなもので、ある日突然できるようになる。普通の勉強のように、コツコツとした積み重ねが必ずしもだいじというわけではない。だいじなのは脱皮することなのだ。一皮むけること。そのきっかけを掴むことである。もちろん、それを掴むためには、日々のコツコツとした積み重ねも当然必要なのだけれど、それ以外にも、ちょっとした発想の転換や視野の広げ方で、突然それができ

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    ohnosakiko 2008/10/24
    「原色」については疑問だけど、それ以外はどこの予備校でも教えているかと(洋画なら)/一番確実なのは芸大合格率の高い予備校に通うこと
  • Perfumeのダンスはなぜ物足りないか - ハックルベリーに会いに行く

    id:y_arimさんからリクエストがあったので、ダンスについて書きます。 y_arim id:aurelianoにはこれにしっかり応答していただきたい。はてなブックマーク - Walk Out to the World Tower / 2008年09月07日 ぼくはダンスというものをそれほどよく知っているわけではない。ダンスはとても難しい。ダンスというもののことを一生懸命考えていた時期はあったし、ダンスを一年間ほど習っていたこともあった。ダンスについてとても詳しい人から真剣に話を聞いたこともあった。ダンスの現場に長く着いていたこともあった。それでもダンスのことはやっぱりよく分からなかった。と言うのはダンスはとてもエモーショナルで感覚的なものなので、系統立てたり論理立てたりして理解することが難しいからだ(それが不可能ということではない)。分かったと思ったら、するりと両手からこぼれ落ちる。そ

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    ohnosakiko 2008/09/10
    表現が飽和状態に至ると出てくるオーソドックスな‥‥というかロマン派っぽい見方かなぁと/それからするとPerfumeは抑圧的で貧しく見えるのかしら/テクノの理解とも関わるような気がしないでもない
  • 「コレが「絵の上手い漫画家ランキング」の完全版です。」という記事についてのいくつかの考察 - ハックルベリーに会いに行く

    まずこのエントリーがあった。SUKEBENINGENSUKEBENINGEN コレが「絵の上手い漫画ランキング」の完全版です。 ところで、「魅力とは何か?」いうものを突き詰めていくと、「ベクトルの違うものを並べても、それを比較することができる」ということが分かるようになる。sukebeningen氏の上記のエントリーも、そうした文脈の上に則っている。これは、ある程度「表現すること」というものを突き詰めた人にとっては、実は自明の理なのだ。関連兵隊さんの位でいうと 但しそれは、見つけた人にとってはちょっとした発見でもある。と言うのも、たいてい大人になる過程で、「ベクトルの違うものは比較ができない」という錯覚に陥るからだ。たいてい、みんな一度はその錯覚を信じ込むようになる。そういう錯覚を信じ込まなかったのは、山下清のようなある種永遠の子供を生きたような人だけだ。それが、大人になって「魅力とは

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    ohnosakiko 2008/08/31
    >ベクトルの違うものは競い合えるのである。これは厳然とした事実だ。そして競い合うことをよしとしない人間は、永遠に真実には辿り着けない。
  • ドッツをコネクティングできるか? - ハックルベリーに会いに行く

    コネクティング・ドッツ以前に『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』というエントリーを書いたのだけれど、この中で、女子マネージャーのみなみちゃんは、ドラッカーの「マネジメント」を読んで「これは自分のために書かれただ」という感覚を覚える。こういう感覚がぼくは好きで、ぼく自身も、似たような体験を何度かしたことがある。つい最近もそれがあった。それは、今勤めている会社の社長に教えてもらったのだけれど、スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で行ったスピーチの動画を見た時だ。 これを初めて見た時、ぼくは「これはぼくのための言葉だ」と思った。「ジョブズはぼくに向かって言ってるのだ」と。中でも取り分け「コネクティング・ドッツ(Connecting Dots)」の話が響いた。それはこんな話だ。 ジョブズのスピーチジョブズは、入った大学をすぐに辞めてしまうのだけれど、しば

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    ohnosakiko 2008/08/01
    点と点が繋がって線になり、線と線が繋がって面になった時に、どんなかたちが見えてくるのか楽しみですね。
  • 高校生がヌードクロッキーをする時の気持ちについて - ハックルベリーに会いに行く

    おれが初めてヌードをクロッキーしたのは多分高校1年生の絵の予備校だったと思う。その時は何と言うか異様な空気がクラスを包み込んでいた。まず初めに先生がよそよそしい。いつもは冗談とか言ってフレンドリーなくせにその日ばかりはなぜか厳つい感じで、鹿爪らしくアカデミックな雰囲気を醸している。「これは飽くまでも勉強なんですよ。そこ間違えないように」というメッセージを全身から発している。実際、モデルさんが来る前の教室でそういうことをそれとなく告げてくる。 こちらからすればヌードモデルというのはまず初体験だから、何も分からない。先生も説明しない。ただ相手は人間じゃなくて飽くまでもモデルですよみたいなことを言う。余計な感情を抱かないようにとまでは言わないが、言外にそういうニュアンスを含んでいる。そして、ただ造形だけ見るようにしろと。今から考えるとそれは絵の質からは著しく外れているが、それもまあ致し方ないと

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    ohnosakiko 2008/07/12
    一瞬私の生徒が書いたのかと思うくらい生々しかったw/自分が高校生の時の体験と、今の男子の様子を書いてます。この記事とほぼ同じ感じ。http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20050726/1195888157
  • 個性は本当に獲得するものなのか? - ハックルベリーに会いに行く

    感性を育てる?「自分にはデフォルトで個性があると思っちゃっているんだね。アーティストにしろデザイナーにしろ、美術を志す者にとっては個性というのは獲得目標のはずなのだが、最初から自分に個性があるなどという戯れ言をガキのころから吹き込まれている」「生まれつきそれぞれが持っている違いというのは、個性ではなくて【個体差】にすぎない。個体差は卑下するものでも称揚するものでもないはず。」「個性というものは目標としてあるもの。もちろん、個性は個体差を生かしたものになるだろうことはわかる。しかし、生の資質を個性とはいわない。個性と個体差の違いがわからないのは文化とはいわない。」そもそも君らに個性などない - 地下生活者の手遊び これを読んで、知り合いのNくんのことを思い出した。Nくんは、美術大学まで行って絵を勉強したオーソリティーなのだが、絵については一種の天才で、子供の頃にこんな経験をしたのだそうである

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    ohnosakiko 2008/07/06
    個性を「独自性」と言い換えてみればわかる。それは環境や社会の中で後から立ち上がってくるものであり、もともと備わっているものではない。
  • 0014「お見合いおばさんの復権」 - ハックルベリーに会いに行く

    アイデア1000ノック秋葉原の事件についてなんだけどさ、なんでみんなもっと肝心なことについて正面から語らねえんだよ。犯人は自分がキモイことに絶望してたんだよ。犯人が残したWeb上のlogで分かるじゃねえか。そこ無視すんなよ。もっと言えば彼女ができないことに絶望してたんだよ。それは仕事クビになるとかよりずっと大きな問題だったんだよ。もっと言えばクビになるから益々彼女ができなくなることに絶望したんだよ。雇用形態がどうとかの問題じゃあ全然ねえんだよ。男女関係不全の問題なんだ。どいつもこいつも、そこのところが分かってねえなあ。 若者の絶望ってのはこれに尽きるんだよ。彼女さえいればたいがいの孤独は癒される。しかし彼女のいない孤独ってのは他のなにものでも癒されねえ。それでも癒したいから、それを癒すためのビジネスが巨大なマーケットを築くんじゃねえか。いわゆる萌えビジネスってやつだ。あるいはケータイもそ

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    ohnosakiko 2008/06/14
    結婚願望の前に恋愛願望じゃないか? もしおばさんが恋人候補を連れてきても、望みが高いから受け入れられなかったり。もちろん女性の方も。
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