太田述正コラム#8640(2016.9.30) <皆さんとディスカッション(続x3116)> <太田>(ツイッターより) 「豊洲地下空間…作ったのは英知...都の有識者会合で委員が絶賛…」 http://news.livedoor.com/article/detail/12082352/ 「…基準超える有害物質、専門家「安全性に問題ない」…」 http://www.asahi.com/articles/ASJ9Y5TK1J9YUTIL03X.html?iref=comtop_8_02 専門家を超える経験知を持つ都技術職員達が唖だった、という悲喜劇。 <太田> 関連記事だ。 一体、立ち上がりの「専門家会議」って何だったんだ。 実はどしろうと集団だったのかね。 対する都技術職員達の方が「専門性」が高かったが、しかし、惜しむらくは、行政的には無責任集団だったってことか。↓ 「地下空間がなければ地
太田述正コラム#8428(2016.5.30) <一財務官僚の先の大戦観(その40)>(2016.9.30公開) 「実は、盧溝橋事件以降に獲得された陸軍の臨時軍事費は、対中国戦を名目にしながらその大宗(6割)は将来の対ソ戦の準備に振り向けられていた(『満州事変から日中戦争へ』)。 軍部は対中戦費の必要性を隠れ蓑にして、軍需品の備蓄等のための予算を、臨時軍事費の名の下にほしいままに獲得していた(『戦時日本の華北経済支配』)。 昭和12年に設置された臨時軍事特別会計<(注69)>は、基本的に陸軍費と海軍費しかなく、毎年の決算もなかったことから、大蔵省主計局も実際に具体的な査定をすることはできなかったのである。 (注69)臨時軍事特別会計設置例:日清戦争(ただし、台湾平定を含む):1894年6月1日−1896年3月末日、日露戦争:1903年10月−1907年3月、第一次世界大戦(ただし、シベリア
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