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ブックマーク / note.com/yuuuuuiiiii (3)

  • エッセイとコラムのちがい|嘉島唯

    「エッセイって、なんの意味があるんですかね?」 白いお皿にのった鶏肉にナイフをいれながら質問する。テーブルクロスの先に座っているのは、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授を務める柳瀬博一さんだ。 柳瀬さんは編集者として、矢沢永吉の『アー・ユー・ハッピー?』や『小倉昌男 経営学』、『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』などヒット作を数多く作ってきた日経BP社の名物編集者だった。 東工大で教鞭をとるのも、ジャーナリストの池上彰さんが東工大の教授になった際に作った『池上彰の教養のススメ』が一つのきっかけになったという。 naoyafujii via flickr / Creative Commons その日はちょうど会社が休みだったので、私は柳瀬さんの授業に遊びに来ていた。艶やかな肌をした大学生たちに囲まれて、90分の講義を聴く。 「人は何人までコミュニケーションが取れるのか」という根元論から「日

    エッセイとコラムのちがい|嘉島唯
    okadaic
    okadaic 2019/01/09
    柳瀬さんの同じ授業を見学に行って同じ店でごはん食べてただ帰ってきただけの私と違って、嘉島さんはそのことをこうしてnoteに書いているのだから、偉いと思うんだよな。
  • エモい文章の作り方|嘉島唯

    エモい。この不明瞭な形容詞が定着するなんて思わなかった。 エモさとは何なのか? Wikipediaには「感情が動かされた状態」、「感情が高まって強く訴えかける心の動きなどを意味する日語の形容詞」と書いてあるけれど、いまいちよくわからない。 一方で、私の文章は、「エモい」と評価をもらうことが多い。謎めいた形容詞で言い表される文章とは一体どういうことなのか? こんなことを書きながらも、自分自身、「あ、これはエモい」と思う作品に出合うことは多い。切なくて、妙に共感して、胸がざわつくあの感じ。単に甘美な言葉を羅列しただけでは、こんなに胸は動かされない。 私は、ひとつ仮説を持っている。 決して同じ体験をしたわけではないけれど、映像が頭に浮かび、追体験したような気分になる。この時、人は文章にエモさを感じるのではないか? それは「固有名詞」×日常性で作れる。 『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、

    エモい文章の作り方|嘉島唯
    okadaic
    okadaic 2018/05/07
    読んで、AZATOIとEMOIの違いがますますわからなくなってしまった……。
  • なぜ、女子はこじらせるのか|嘉島唯

    こじらせ女子ーー彼女たちが「発見」されて久しい。雨宮まみさんの著書「女子をこじらせて」が発売されたのは2011年。その存在は、80年代に中森明夫さんによって発見された「おたく」のように、ある程度一般化されてきたようにも感じる。 こじらせ女子は2010年代において「発見」されたある文化的種族は、潜在的に存在しているにもかかわらず、名づけられないと認識されない。「こういう人クラスに一人はいるよね~」という名もなき存在である。しかし、その存在は名付けられることによって、「発見」され「定着」していく。たとえば「おたく」や「メンヘラ」「サブカル」など命名されることによって、私たちはイメージを共有してきた。言葉とは元来そういうものだろう。 文化的種族は人種や宗教のように絶対的なものではない。それはおうおうにして社会要因によって生まれるものだろう。たとえば、戦前に「おたく」は存在しえなかった。それは紛れ

    なぜ、女子はこじらせるのか|嘉島唯
    okadaic
    okadaic 2014/11/17
    とても面白く読みましたが、最後だけ……ここで『アナと雪の女王』じゃないですかね。私にとって「君はそのままでいいんだよ」系王子様といえばマツモトキヨシの及川光博ですけど、今は、もう一歩踏み込みたい。
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