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歴史に関するokanesanのブックマーク (15)

  • 企業間競争戦略に生かす孫子の兵法 | 時局レポート | 最新記事 | 東京商工リサーチ

  • http://www3.ocn.ne.jp/~y.hirama/yh_ronbun_senryaku_sonshi_nihon.htm

    この配布区分が示す通り、 海軍は大正から昭和初期には孫子をマハンやクラウゼビッツ以上に重視し高く評価していた。 また、 この配布区分は西欧の戦略や戦術を身につけた日海軍が、 新しい戦略戦術を考究しようとしていた強い意欲を表徴しているようにも思われる。 事実、 1919年には太平洋を横断して来攻するアメリカ艦隊に対して、 潜水艦や航空機による攻撃を反復繰り返し敵勢力を漸減する。 さらに敵艦隊が決戦場に入るや高速戦艦が護衛する水雷戦隊をもって夜戦を決行し、敵艦隊に大打撃を与え夜戦に引き続き黎明以後、 戦艦部隊を中核とする全兵力を結集して決戦を行う対米戦略「邀撃漸減作戦」をほぼ概成していた。 3 昭和期(1926ー1940年)の海軍と孫子 (1)兵術思想と孫子 昭和初期の日海軍は「支那古兵学、 すなわち七書流の兵学は内容豊富であり西欧流の兵学の及ばない所を補う(13)」ものと位置付けて

    okanesan
    okanesan 2010/08/19
    日本海軍での孫子の扱いと皇軍思想への移行
  • 「なぜもっと早く降伏できなかったのか」を議論しよう:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 8月6日の広島平和記念式典にルース駐日大使が米国の代表として初めて出席したことが話題になった。広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子さんはテレビ・インタビューで、広島の式典への米国代表の参加について、「参加すべきではなかったと思う」と不快感を示したという。 もっとも原爆投下についてルース大使が謝罪を述べたわけではない。これに対して、日の被爆者やその遺族・家族らは強い不満を感じているようだ。一方、米国では「参加したこと自体が『無言の謝罪』になるので許せない」という批判が起こっている。ポール機長の息子さんは、同じテレビのインタビューで「原爆投下が戦争終結を早め、多数の人々の命を救ったとして、『当然、

    「なぜもっと早く降伏できなかったのか」を議論しよう:日経ビジネスオンライン
  • http://ww1.m78.com/

  • 戦艦大和特攻作戦 沖縄出撃の疑問に答える。

    私の知人が、2004年(平成16年)12月29日作家吉村昭氏が讀賣新聞のコラムで真珠湾攻撃に向かう艦隊が択捉島単冠湾(ヒトカップ)に結集した様を望見した方々を紹介した新聞切り抜きを持参した。 日だけで300万人にも及ぶ惨禍のスタートを見たことになる。 初めがあれば終わりがある。 沖縄水上特攻のため三田尻沖に結集したわずかな艦隊を見た人々が、必ずまだご存命のはずだという動機が、この Webサイトを立ち上げた動機であった。 戦争がなぜ始まったのか、とうして負けたのか、通史的に編集していないし、そのような大それたことが書ける能力もない。 主として現場で何が起きていたのか、彼らがどのような価値観に支配されていたのかを読み物風に纏めたに過ぎない。 掲載している各種の統計数字等は史料・資料として通用すると自負している。 だがあくまで私の価値観で物事を記載していることを承知の上で閲覧を賜りたい。

  • 『フィリピンと対日戦犯裁判 1945-1953年』永井均(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「日のフィリピン占領(一九四二-四五年)の帰結として、一九三九年の国勢調査人口約一六〇〇万人に対し一一一万人余りという膨大な数のフィリピン人の人命が失われ、家畜と重要産業の精糖工場の各六割が灰燼に帰した。国内全体の損害総額が八〇億ドルとも見積もられるなど、フィリピンは文字通り壊滅状態に追い込まれた」。その惨状は、世界的に見ても異常で、「一九四六年五月にマニラを訪れたアイゼンハワー将軍は廃墟となったマニラの光景を見て啞然とし、「ワルシャワ以外に、このような最悪の破壊を目にしたことがない!」と叫んだと報じられた」。 書は、のちの大統領で1953年に日人戦犯に恩赦を出して、全員の帰国を許したエルピディオ・キリノが、1945年2月のマニラ市街戦で家族7人のうち、、次男、長女、三女の4人を同時に失った場面からはじまる。と長女の遺体を数日間道端に放置せざるを得なかった計

    『フィリピンと対日戦犯裁判 1945-1953年』永井均(岩波書店) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス

    太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス
  • http://homepage3.nifty.com/yoshihito/hp-0-1-1.htm

  • 墓じまいの龍馬セレモニー|高知、愛媛、徳島、香川の墓じまい・遺骨供養・海洋散骨

    少子高齢化が進んでいる四国4県(高知県・愛媛県・徳島県・香川県)において、お墓が家族の資産ではなく負債になっています。墓じまいの相場が、墓石撤去や永代供養を合わせると、1つ500,000~1,000,000円と言われています。2つ3つお墓を保有する若者も多く、多い方で4つという方もいます。明朗会計・遺骨供養まで一括請負で安心して墓じまいをおまかせいただけます。※見積もり訪問費用・お墓現状調査が別途必要になる場合があります。

    墓じまいの龍馬セレモニー|高知、愛媛、徳島、香川の墓じまい・遺骨供養・海洋散骨
  • 太平洋フロント

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  • 芋太郎の広場 資料室

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  • 日中戦争:憲兵の手紙424通公開 - 毎日jp(毎日新聞)

    展示されている手紙のコピー。便せんや原稿用紙に時に丁寧に、時に走り書きで書かれている=甲府市の山梨平和ミュージアムで、春増翔太撮影 日中戦争(1937~45年)の前線で憲兵の任務についていた山梨県龍岡村(現韮崎市)出身の五味民啓(たみよし)さん(79年死去)が当時家族に出した計424通の手紙が見つかり、甲府市内で公開されている。五味さんは戦争に懐疑的だったが、憲兵だったこともあって手紙は軍の検閲を受けなかったとみられ、「新聞記者のついて来る戦場は勝味のある場所です。新聞で伝わるのは、ほんの一部分」といった率直な記述が随所にある。専門家は「極めて史料価値が高い」と評価している。【春増翔太】 五味さんは旧制甲府中(現・甲府一高)に首席で合格したが、養父に反発して上京。会社勤めの傍ら中国語を学んで会話も堪能だった。製薬会社に勤めていた時に召集され、1937(昭和12)年9月、24歳で陸軍第149

  • 日本を破滅させた無能海軍 | 探検コム

    が第2次世界大戦で負けた原因はどこにあるのか? こう聞くと、たいていの日人は「陸軍が悪かった」と答えるのですが、これは当でしょうか? 戦史を丹念に追っていくと、無能で権威主義だった帝国海軍こそが日を敗戦に導いた根的原因だと判断せざるを得ません。しかし、戦後60年以上経った今でも「東京裁判史観」が幅をきかしているわが国では、いつまでたってもそうした見方は支持されないのです。 僕の知り合いだった故佐藤晃さんは、終戦以来ずっと「陸軍悪玉論」に疑問を感じていました。そこで、退職後に戦史研究を始め、その成果を執筆してきました。テーマは一貫して「海軍無能論」です。そこで、その成果の一部を紹介したいと思います。 (当初、ご遺族から全文公開の許可をいただいたのですが、翻意されたので、法的に問題ない範囲での紹介にとどめます) 海軍の誕生と消滅 1867年、明治維新が成立すると、明治新政府は、日

    okanesan
    okanesan 2010/04/25
    そもそも、日本には「戦略」という意識がないのかな? 組織なんてどこもそんなもん?
  • 第二次世界大戦等の戦争犠牲者数 日本軍に捕らえられた捕虜等

    先の大戦で犠牲になった人は、正確には、どれほどおられたのだろうか。この疑問を 出発点にして、情報を集めることにしました。社会科の教科書をはじめ、新聞記事、図 書館にある、インターネットのネットサーフィン等を通して、参考になりそうな資料 を探しました。ここに載せたものは、孫引きや、孫引きの孫引きの寄せ集めですが、自 分なりに考えさせられるものもあり、とてもよい勉強になりました。 第二次世界大戦での主な国の犠牲者数 国  名     兵  員  の     一般市民の 死  亡   行方不明  死   亡 アメリカ     407,828      ―      ― イギリス     353,652    90,844    60,595 フランス     166,195      ―    174,620 ポーランド            (6,000,000)      ソ  連    

  • 戦争を語り継ぐ

    太平洋戦争後、半世紀を越え新しい世紀を迎えた今日、戦争の実態を記録し、伝えていくことは私達の世代にとって意義のあることと思う。太平洋戦争に至った歴史的事実、少年、学生から見た戦争、実際従軍し殺し合いをした人からみた戦争土の人から見た戦争はどうだったのか。それらは、それぞれの人生を狂わす悲劇そのものであった。それらの悲劇が、生の写真とともに伝えられている。ほぼ年月の流れに従って整理している。 (NHKドキュメンタリーテレビ番組より概要紹介と所感)

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