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2018年6月18日のブックマーク (12件)

  • 「誘拐肯定では」指摘受けたドラマ テレ朝放送取りやめ:朝日新聞デジタル

    テレビ朝日は18日、7月開始予定の連続ドラマ「幸色(さちいろ)のワンルーム」の放送を取りやめることを決めた。原作漫画が実際に起きた誘拐事件を肯定的に描いているのではないかなどとして、批判の声が出ていた。 ドラマは大阪の朝日放送(ABC)テレビが制作。テレ朝が関東地区で土曜深夜に放送予定だった。原作は「はくり」さんによる同名漫画。2016年9月にツイッターで初めて公開した。親に虐待された中学2年の少女が、声をかけてきた男と自ら進んで一緒に暮らす様子を描く。 原作に対しては、埼玉県朝霞市で誘拐された少女が同年3月に東京都内で保護された事件をモデルに創作したのではないかとの臆測が広がった。ドラマ化すれば被害者を中傷し、誘拐を肯定しかねない、と反発が出ていた。 「あくまでフィクション」と擁護する声もあるが、テレ朝広報部は「改めて精査した結果、総合的な判断として放送を見送ることにした」としている。

    「誘拐肯定では」指摘受けたドラマ テレ朝放送取りやめ:朝日新聞デジタル
    okbc99
    okbc99 2018/06/18
    “制作した朝日放送は「(原作は)実際の事件をモデルにしたり、事件からモチーフを得たりしたものではないと認識しております」(広報部)などと答えた。関西地区では予定通り来月から放送するという。”
  • 「ミニ・ゲッベルスはいたるところにいる」 映画「ゲッベルスと私」監督に聞く、ナチスの時代と現代の類似:朝日新聞GLOBE+

    インタビューに答える『ゲッベルスと私』のクリスティアン・クレーネス監督(左)とフロリアン・ヴァイゲンザマー監督 Photo: Ikenaga Makiko 『ゲッベルスと私』は、1942年からドイツ敗戦までゲッベルスの秘書を務めた、1911年生まれのブルンヒルデ・ポムゼルの貴重な独白をつづる。未公開を含むアーカイブ映像を、彼女が語った年代に合わせて織り込むことで、ナチスのナンバー2のそばにいながら「知らなかった」とする彼女の主張と、ユダヤ人迫害やホロコーストが吹き荒れた現実との乖離を際立たせてゆく。 『ゲッベルスと私』より、独白するゲッベルスの元秘書ブルンヒルデ・ポムゼル ©2016 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH 今作は、ジャーナリストとして長年活動を続けるフロリアン・ヴァイゲンザマー監督(45)が別の取材でたまたまポムゼルに会ったのがきっかけ

    「ミニ・ゲッベルスはいたるところにいる」 映画「ゲッベルスと私」監督に聞く、ナチスの時代と現代の類似:朝日新聞GLOBE+
    okbc99
    okbc99 2018/06/18
    “オーストリアはナチスを喜んで受け入れたし、ドイツ同様、きわめて多くのナチ党員がいた。私たちも第三帝国の一部だったということだ。でもオーストリアはそれを語りたがらず、秘密にしてきた。”
  • LIBRO PLUS | リブロプラス

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    okbc99 2018/06/18
  • セットアップ: ウソつきは恋のはじまり | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

    仕事命のボスが恋をすれば、自由な時間ができるはず。あまりの激務に耐えかねた2人のアシスタントは、互いのボスをくっつけるべく様々な作戦を練るが…?

    セットアップ: ウソつきは恋のはじまり | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
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    okbc99 2018/06/18
  • [FT]米朝首脳会談、クシュナー氏が橋渡し - 日本経済新聞

    経済新聞の電子版。日経や日経BPの提供する経済、企業、国際、政治、マーケット、情報・通信、社会など各分野のニュース。ビジネス、マネー、IT、スポーツ、住宅、キャリアなどの専門情報も満載。

    [FT]米朝首脳会談、クシュナー氏が橋渡し - 日本経済新聞
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    okbc99 2018/06/18
    “北朝鮮政府は、トランプ氏に直接声を届けるうえで頼れるのはクシュナー氏だけだと判断した。当時の外交トップだったティラーソン前国務長官は効果的なルートではないと考え、国務省を経由するのは回避した。”
  • 町山智浩さんの『万引き家族』評はどこが間違えているのか。|海燕(ライター)

    映画評論家の町山智浩さんの『万引き家族』評が話題を呼んでいます。それについてはここ(http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar1578982)でも書きましたが、もういちど、べつの視点から語ってみることにしたいと思います。 まず、町山さんの言葉を引用しましょう。 (町山智浩)スーパーでほんの少し、家族全員がべるご飯をとっているだけなんですよ。それで「万引きなんかしやがって! 万引きなんか犯罪じゃないか!」って……ちょっと待て。彼らは働いていてもご飯がべられなくて、わずかなべ物がほしくて万引きをしているんですよ。この映画の中でね。 https://miyearnzzlabo.com/archives/50733 しかし、この映画を見た人ならわかる通り、これは端的に間違いなのではないかと思うのです。 第一に、「彼ら」はたしかに貧困ではあるもの

    町山智浩さんの『万引き家族』評はどこが間違えているのか。|海燕(ライター)
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    okbc99 2018/06/18
    町山さんの感想は引き合いに出した『わたしは、ダニエル・ブレイク』に引っ張られたのかなと。
  • 第61回・群像新人文学賞

    小説を書くことは罪深いことだと思っています。この小説はそのことを特に意識した作品になりました。それは、被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いたからです。 実際、私は被災地に行ったことは一度もありません。とても臆病で、なにもかもが怖く、当時はとても遠くの東京の下宿から、布をかぶってテレビを見ていたのです。現実が恐ろしくてしかたがなかったのです。あまりにも大勢の被災者たちの喪失を想像することが恐ろしかったのです。また恐ろしさは、自分が思考の止まった人間であることを自覚させられることにもありました。あまりにも自分のキャパを超えてしまった現実に対して、どう考えていいのかわからなくなりました。私にとって思考することは私そのものでありましたから、なにか大事なものを取り上げられてしまった虚しさに襲われたのです。私は自分がいったいどうしたいのかもわからず、悶々と、事態が静まるまで時間を稼いで

    第61回・群像新人文学賞
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    okbc99 2018/06/18
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

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    okbc99 2018/06/18
  • 是枝監督「公権力と距離」発言、作品助成と矛盾するの?:朝日新聞デジタル

    「万引き家族」でカンヌ国際映画祭の最高賞(パルムドール)を受賞した是枝裕和監督が「公権力とは距離を保つ」と発言したことに対して、「助成金をもらっているのに矛盾している」と批判があり、賛否の議論がわき起こっている。文化助成とは芸術家の思想や表現を縛るものなのか。 発端は、林芳正文部科学相が7日、対面して祝意を伝えたい意向を示したことだった。是枝監督は同日、映画がかつて「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いたとして「公権力とは潔く距離を保つ」と辞退する考えを自身のサイトで示した。そのうえで「万引き家族」が文化庁の助成を受けていることに謝意を示して、映画文化振興のための予算拡充を訴えた。 是枝監督の姿勢に、「補助金をもらっていながらあきれた発言だ」などとツイッター上で批判がわき、それに対して反論する意見も相次いでいる。 では「万引き家族」にはどんな助成があったのか。 文化庁所管の独立行政

    是枝監督「公権力と距離」発言、作品助成と矛盾するの?:朝日新聞デジタル
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    okbc99 2018/06/18
    “助成の採否は映画評論家やジャーナリストらが合議する専門委員会が決め、政府が関わらない仕組みになっている。公権力は援助をするが、芸術表現の自由と独立性は維持する、いわゆる「金は出すが口を出さない」原則
  • 文体や熱量への抗いがたい魅力 北条裕子「美しい顔」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

    わざわざ授賞式を覗きに東京まで赴いたので、群像新人文学賞当選の北条裕子「美しい顔」から評したい。前半は、三・一一の津波被災者による一種のサバルタン・トーク問題が枠組みである。作者は受賞スピーチで、作はマス・メディアに対する糾弾のような内容になったが、それは当時、被害報道をただ「見る」だけの自分自身に対する憤りの反映で、究極的には「書く」ことに伴う罪意識の現れなのだ、という主旨のことを言っていた。被災者の体験の絶対性を内部から語ろうとしても、聞き手の視線や期待におもねった言葉に取り込まれてしまう。小説中の「私」が饒舌な「私」を徹底して嫌うのは、それがトラウマの表象(=代行)不可能性を逆説的に語りうるわずかな手の一つだからだ。そして母の死体を直視した後の後半は、その喪失体験の克服へと歩み進んでいく――フロイトのいう「喪の作業モーニング」を地でゆく内容になる。つまり、実は批評的枠組みがかっちり

    文体や熱量への抗いがたい魅力 北条裕子「美しい顔」|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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    okbc99 2018/06/18
  • 東京新聞:北条裕子「美しい顔」 乗代雄介「生き方の問題」 佐々木敦:文芸時評(TOKYO Web)

    群像新人賞受賞作の北条裕子「美しい顔」(『群像』6月号)は、大変な力作だ。「選考委員激賞」とあるのを横目で見つつ、どれどれお手並み拝見といった気分で読み始めて、すぐさま瞠目(どうもく)した。そのまま熱に浮かされるようにして一気に読み終えてしまった。これはちょっと相当に凄(すご)い小説である。力作と書いたが、まさに言葉に宿る「力」が尋常ではない。 この小説で描かれるのは、二〇一一年三月十一日の出来事、あの日から始まった出来事である。語り手の「私」は十七歳の女子高生で、重篤な被害を負った地域に住んでいた。巨大な津波によって自宅は流されてしまったが、十歳年下の幼い弟とともに九死に一生を得て、現在は避難所にいる。父親は五年前に亡くなっている。看護師の母親とは連絡が取れない。当初は水や糧も枯渇する状況だったが、東京のテレビ局が取材に来たことをきっかけに、避難所にはさまざまな支援が寄せられるようにな

    東京新聞:北条裕子「美しい顔」 乗代雄介「生き方の問題」 佐々木敦:文芸時評(TOKYO Web)
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    okbc99 2018/06/18
  • 文芸時評:5月 震災後の表現 小説の可能性示す=田中和生 | 毎日新聞

    マイッタ。 第六十一回群像新人賞を受賞した、北条裕子の長篇(ちょうへん)「美しい顔」(『群像』)を読んだ感想だ。新人賞受賞作であることを忘れ、気がつくと作品に強く引き込まれて、激しく感情を揺さぶられた。ついに二〇一一年に起きた東日大震災を「表現」する作品が登場したと言っていい。 もちろん震災時の出来事を取り上げたり、震災後の現実を描いたりしている作品は、震災直後からいくつも書かれてきた。しかしそれらは震災が起きたという事実を「反映」しているだけで、質的なところで表現しているとは言えなかった。そう感じさせる作品である。 作者自身が「受賞のことば」で「被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いた」と証言しているが、語り手の「私」は東日大震災で被災した、十七歳の女子高校生である。七歳の弟「ヒロノリ」を連れて高台まで逃げた「私」は、津波に飲み込まれる故郷を目の当たりにし、被災者とな

    文芸時評:5月 震災後の表現 小説の可能性示す=田中和生 | 毎日新聞
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    okbc99 2018/06/18