大量虐殺の次に起きたのは歴史の抹殺だ 1941年6月、独ソ不可侵条約を破棄してソ連に侵攻したナチス・ドイツ軍。占領下のウクライナ各地に傀儡政権をつくりながら支配地域を拡大し、9月19日についにキエフを占領する。9月24日、統治体制の変化で混乱するキエフで多くの市民を巻き込む大規模な爆発が起きた。これはNKVD(ソ連秘密警察)がキエフから撤退する直前に仕掛けた爆弾を遠隔操作で爆破したのだが疑いの目はユダヤ人に向けられた。翌日、当局はキエフに住むユダヤ人の殲滅を決定し、全ユダヤ人に出頭を命じた—— 1941年9月29日から30日にかけて、アインザッツグルッペ(移動虐殺部隊)Cのゾンダーコマンド4aは、警察南連隊とウクライナ補助警察の支援を受け、地元住民の抵抗もなく、キエフ北西部のバビ・ヤール渓谷で33,771名のユダヤ人を射殺した。女も子供も老人も皆身ぐるみを剥がされ無慈悲に殺された。本作品は