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ブックマーク / runsinjirun.seesaa.net (6)

  • だめだこりゃ アバター:ウェイ・オブ・ウォーター: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    アバターwowを見たのでつらつらと。巷では世界中で日だけアバターが興収1位を取れなかったことを揶揄する方も多いそうですが、作品の質を見てもwowはスラムダンクに負けてるのでそうおかしなことではない(興収スラムダンク1位アバター3位) アバターwowは1作目と比べてもクライマックスのアクションがかなりスケールダウンしている。なにしろ敵は「捕鯨船」でしかないのだ。戦闘のプロではなく漁業を営む人たちをナヴィ族が大虐殺していくのである。 キャメロンの日の捕鯨船に対する憎悪はシーシェパード並なんだな(笑)というのはわかるが、敵役としてはあまりにも弱すぎる。こんな貧弱な敵ではバトルが盛り上がらない。前作よりスケールダウンと表現した所以である。 アバターwowはアバター3の人間との全面戦争につながる中途の作品だとわかるのも不満だ。見せ場は全部アバター3に取っておいてあるだろうと予測できてしまうくらい

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    okbc99 2022/12/23
  • 対話と救済 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||評: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    対話と救済 シン・エヴァンゲリオン劇場版:||評 シン・エヴァンゲリオン劇場版を初めて見たとき、映画のDパート(マイナス宇宙のパート)のあまりに意表を突く突拍子もない映像の数々と初出の用語と概念の洪水に脳をやられて感動する暇すらなかった。3回目を見てようやく情報の洪水状態を脱し、脳の処理速度が追い付いてきたのでやっとシンエヴァ評を書けるに至った次第。 しかし1回だけ見てあの大量の情報が高密度で高速に流れるさまを見て理解できたり、「泣いた」と言ってる人が多いのにびっくりした。正直こんなにも理解してる人が多いのに、理解できなかった自分が馬鹿なのかと不安になったりもした。 でも3月28日のシンエヴァ声優陣の舞台挨拶でカヲル役の石田彰さんが 「僕もこの作品見終わったあとに、作品自身に翻弄されました。異様とも言える映像を見せられて、これをどう解釈すればいいんだろうとか、細かな設定的な事とか、理解が及

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    okbc99 2021/03/29
  • 新海誠「天気の子」愛でも破滅でもなく : シンジの“ほにゃらら”賛歌

    新海誠天気の子」愛でも破滅でもなく 主人公の帆高の選択に対する批判としてこれを社会性のないものであるとか、浅薄な功利主義(最大多数の最大幸福)批判であるとか、公共的なものへの反発からくる徹底した利己主義、リバタリアニズム(自由至上主義=個人の自由と権利を絶対視する思想)であるとかいう批判が一部にある。 一方で帆高の選択に対する賞賛として非常にラディカルでアナーキーなものであると賞賛する人たち(おもに革新幻想にとらわれた中年男性)がいる。むしろ批判よりもこっちのほうが多いかもしれない。 だがこの批判するもの、賞賛するもの両者ともに映画に描かれているものと向き合わず、新海誠の意図するものを無視し、頭の中にある「公式」に映画を当てはめているにすぎない。 この批判と賞賛の両者が見逃しているものとは新海誠その人であるといってもいい。 はたして新海誠は徹底した利己主義、自由至上主義の観点から帆高の決

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    okbc99 2019/07/31
    “新海誠は苦しんでいる人が目の前にいたなら、それに無条件で手を差しのべる衝動こそが世界をより良くする第一歩だと本気で信じているからこそ「天気の子」を作った。”
  • 映画「海獣の子供」いまごろニューエイジ思想かよ: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    映画「海獣の子供」いまごろニューエイジ思想かよ 映画「海獣の子供」すさまじいアニメ表現と色っぽい人物、特に少年青年老人の男勢がみんな色っぽい。アニメのキャラクターでここまで色っぽく描写できるのは驚異としかいいようがない。色っぽいというのは性的も含むけど、実在感、肉体感、身体性がすぐれているということ。アニメ演出、作画両面ですさまじく高水準な仕事をされていることがわかる。 多くの人が意味がわからないという思想的な面も「ひとつは全にして全はひとつなり」「自と他の区別なく、生と死の境もない」というような仏教思想を多少齧ったことがあるならなんとなく理解はできるだろう。 主人公ルカの家の前を虫が羽虫の死体を引きずっていく場面や、エンドクレジット後の場面ー母親が赤ちゃんのへその緒をルカに切ってくれと頼むとルカはへその緒を切りながら「命を断つ音がした」という場面はまさに「生と死はつながっているし境もない

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    okbc99 2019/06/14
    “映画「海獣の子供」は極限にまで達したアニメ表現の素晴らしさと「え?今頃ニューエイジ!?」という不可解さの混合だ。”
  • 庵野秀明は樋口真嗣から映画を奪った・シンゴジラ簒奪劇のすべて。ジ・アート・オブ・シン・ゴジラを読む : シンジの“ほにゃらら”賛歌

    庵野秀明は樋口真嗣から映画を奪った・シンゴジラ簒奪劇のすべて。ジ・アート・オブ・シン・ゴジラを読む ジ・アート・オブ・シン・ゴジラはただのアートブックでも、映画制作を資料を並べながら解説するでもない。ここには庵野秀明という異物がいかに映画スタッフから憎まれ、嫌われながら、それでもなお映画の現場を蹂躙していったかの記録が残されている。 このは庵野秀明がいかにして現場の主導権を傍若無人に奪い取ったかのあまりにも赤裸々な記録なのだ。 そもそもシン・ゴジラ撮影現場での大混乱は庵野秀明自身も樋口真嗣やそのスタッフも庵野人が撮影現場に出張ってくるとは誰も考えていなかったことにある。 「(庵野は)脚とプリヴィズと編集だけやるから、現場は任せた」という話だった。-樋口真嗣監督(p482) しかしなぜか庵野は撮影現場につきっきりとなる。このことに騒然とする樋口組スタッフ。当たり前である。現場スタッフ

    庵野秀明は樋口真嗣から映画を奪った・シンゴジラ簒奪劇のすべて。ジ・アート・オブ・シン・ゴジラを読む : シンジの“ほにゃらら”賛歌
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    okbc99 2017/01/05
    “いくつかの段階と転機と理由があり「可能な限り現場に出るしかない」と判断しました。実は理由のひとつに現場の意識改革を試みるしかないと思ったこともありました。”
  • アウトレイジビヨンド完全読解: シンジの“ほにゃらら”賛歌

    映画「アウトレイジ ビヨンド」を隅から隅まで考察しているので、当然ネタバレしています。 1カット目・単線と複線 人は映画を見るとき、ただ物語や登場人物の感情を追うだけではない。映像やセリフとして表現されたものだけではなく、表現されていないものまでそこに読み取ろうとする。一番わかりやすいたとえを出せば、私の大好きな映画監督にエルンスト・ルビッチがいます。 ルビッチの映画手法は表面的にかわされる会話やしぐさの裏に別の意味が隠されている。つまり映像で表現されていないものを観客に読み取らせるのだ。映画「メリーウィドウ」(1934)ではテーブル席に座る男女がよそよそしい会話をかわす。彼らはあくまで礼儀正しく、堅苦しい態度を崩さないのだが、女がある一言をもらす「をかえしてくださる?」 その瞬間そのシーンはひっくりかえる。よそよそしく堅苦しい男女の会話が続くなか実はテーブルの下ではエロティックな攻防が

    okbc99
    okbc99 2012/10/15
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