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ブックマーク / maplecat-eve.hatenablog.com (10)

  • 『WANDA/ワンダ』評 - maplecat-eve’s blog

    WANDA CINEMOREさんにバーバラ・ローデンの伝説的な作品『WANDA/ワンダ』評、「結末を拒否するヒロイン、終わりのない彼女の物語」を寄稿させていただきました! cinemore.jp アンスティチュ(旧日仏学院)で無字幕で見たのが『WANDA/ワンダ』との出会いでした。配給のクレプスキュールさんに心からの敬意を。 バーバラ・ローデンとデルフィーヌ・セイリグは同い年。『WANDA/ワンダ』と『ジャンヌ・ディエルマン』はどこか共振していると思います。 リサーチのために読んだナタリー・レジェによる著作『バーバラ・ローデンのための組曲』は、批評でこのようなことができるんだ!と驚きの連続でした。『WANDA/ワンダ』についての批評でありながら、バーバラ・ローデンの伝記であり、調査の日記であり、映画史と文学史を横断しながら、著者の個人史とも深く交わっていく、、、。指標にしたくなるような美し

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    okbc99 2022/07/19
    “『WANDA/ワンダ』と『ジャンヌ・ディエルマン』はどこか共振している/『彼女は閉じ込められていて、決してそこから抜け出せない。彼女のような人は何百万人もいる」”
  • 女優≠作家論「エミリー・ブラント」 - maplecat-eve’s blog

    My Summer of Love リアルサウンドさんにエミリー・ブラント論「走りながら考える女」を寄稿させていただきました。 『ジャングル・クルーズ』には、吃音に悩まされていた少女時代のエミリー・ブラントが、他人の声を演じることによって自身を発見していったというプロセスが、まったくの偶然にも関わらず、詰まっています。 『マイ・サマー・オブ・ラブ』について触れられたのも嬉しかった。あまり触れられる機会のない作品ですが、エミリー・ブラントがキャリアの初期に、脚があってないに等しいこの即興映画に出演したのは大きいと思います。 realsound.jp エマ・ストーン論、スカーレット・ヨハンソン論、エミリー・ブラント論と、ディズニー映画が続いてます。次はハーレイ・クインのあの女優。 realsound.jp realsound.jp

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    okbc99 2021/08/16
  • 『ダンボ』(ティム・バートン/2019) - maplecat-eve’s blog

    パーフェクトフィルム!多幸感が全力疾走する絵巻のようなオープニングからティム・バートンが紡いでみせるのは、『私の20世紀』(イルディコー・エニェディ)ならぬ、『ティム・バートンの20世紀』だ。大陸の地図をオーバーラップさせながら汽車が前へ前へどんどん進んでいく絵巻のようなオープニングは、目的地へ向かって前進すると同時に、走馬灯のように記憶を全力で巻き戻しにかかる。この華麗なる絵巻の行き着くところが、戦場から帰還し片腕を失った父親の胸に飛び込む娘、という構図に収まるとき、私たちはこの映画作家の感情的な出発点を知る。ティム・バートンはいつだって癒えることのない傷口と共に生きていくフィルムを作ってきた。耳の大きいことでいじめられるダンボがティム・バートン的な主題の導きにあることを改めて知るのだ。 絵巻の行き着く先にあるこのサーカス団は、ティム・バートンが長年こだわってきたフェデリコ・フェリーニの

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    okbc99 2019/04/01
  • 『ハンズ・アップ!』(ロマン・グーピル/2010) - maplecat-eve’s blog

    東京国際映画祭で最初に出会った傑作について取り急ぎ紹介したい。当てにならない確信を持って言うならば、おそらく今回の東京国際映画祭で作に勝る「発見」はないだろう。とはいえ「発見」という言葉を使うのは、既に20年近くのキャリアを持つロマン・グーピルにとってはまったく失礼な話だ。責められるべきは私たちの無知で、祝福されるべきは私たちの出会いだ。作への衝撃を皮切りにロマン・グーピルという映画作家の全容へ向けて私たちは早急に走らなければならない。遅すぎたがこれはとても幸福なことでもあるのだ。さて、ロマン・グーピルは『30歳の死』(1982)という68年革命を描いた傑作(未見)によって知られている。この作品はジャック・ドワイヨン『西暦01年』、マラン・カルミッツ『Coup Pour Coup』と共に”68年映画”を集めたDVD−BOX(フランス盤)に収録されている。私が初めてロマン・グーピルの名を

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    okbc99 2014/09/30
  • 『マーサ、あるいはマーシー・メイ』(ショーン・ダーキン/2011) - maplecat-eve’s blog

    ショーン・ダーキンの処女長編『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は、ただ其処に在ることの恐怖と不安を心理的な背景の説明を省いた、宙吊りのサスペンスとして描いている。この恐るべきデビュー作の設計において、ショーン・ダーキンの”説明不足”が、入念な設計に導かれた結果であることを理解するのに時間はかからない。何故なら舞台となる湖の水面に向けられたカメラの距離とそのフレーミングが、ただ其処に水が在るというだけの恐怖と不安を嫌が上でもこちら側に感じさせるからだ。乱反射する水面の鈍すぎる不穏な輝きが、そのままマーサ、あるいはマーシー・メイの、さらに観客の内面にカイロス時間的な現在地を創りあげていく。このショットに触れるとき、この作家の水に対する畏怖、倒錯的で危険なシグナルはこちらを切迫させる。マーサがカルト教団に入信した心的原因自体に意味があるのではない。この作品のカメラが向けるすべての風景、その不穏な

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    okbc99 2013/03/04
  • 『Les bien-aimés』(クリストフ・オノレ/2011) - maplecat-eve’s blog

    キアラ・マストロヤンニ、カトリーヌ・ドヌーヴ、リュディヴィーヌ・サニエ、ルイ・ガレルのオールスターキャストで描くクリストフ・オノレの新作は、これまでになく、役者の調子、撮影の調子、演出の調子、編集の調子が、画面に調和した愉快な作品だ。ハイヒールで街をひたすら歩くキアラ・マストロヤンニとカトリーヌ・ドヌーヴ、リュディヴィーヌ・サニエが、そので国境と時空を越え、やがて宿命的なデジャヴという名の「再演」にめぐり会う。クリストフ・オノレのこれまでの作品と趣を異にするのは、参照点の微妙なズラシ方だろうか。『Les bien-aimés』が披露する「軽さ」の妙技には、どこか当事者の熱から一枚フィルターを介したかのような、”まがいもの”であるがゆえの風通しのよさ、客観性がある。開巻早々のポップミュージックの響き方に『ブロンドの恋』(1965)を思い出したのは偶然ではない。この作品にはミロシュ・フォアマ

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    okbc99 2013/01/20
    WOWOWで『愛のあしあと』として放映
  • 『Les adoptés』(メラニー・ロラン/2011) - maplecat-eve’s blog

    輸入DVDでメラニー・ロランの長編監督デビュー作。メラニー・ロランの処女作は『人生はビギナーズ』(マイク・ミルズ)やデビューアルバムのPVといった、直近の彼女の仕事からのフィードバックが明確に読み取れる作品だ。画面作りにおいては「KISS」(いい曲!)のPV、また、編集面においてマイク・ミルズからの影響を強く感じる。ライブハウスの楽屋裏のメイクアップから、メラニー・ロランがギターを抱えステージに上がり、カメラがどんどん引いて、ステージと客席の全体像を収めるファーストショットの長回しに早速ドキリとさせられる。また、セックスシーンにおける、女優の仕草や表情だけを丹念に切り取って編集する、親密な画面の出来栄えは、三者三様のエピソードというこの作品の構成が第一に考慮されているとした上でも、まず自分の知っていることをきっちり描く、という点で、とても好感が持てるものだった。メラニー・ロランは、あるイン

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    okbc99 2012/04/09
    メラニー・ロラン監督作
  • 『アナザー・ハッピーデイ』(サム・レヴィンソン/2011) - maplecat-eve’s blog

    東京国際映画祭5日目。去年の『ウィンターズ・ボーン』(祝・今週末公開!)のような拾い物になるのではないか、という事前の予想に見事に応えてくれたのが、このサム・レヴィンソンによる処女作『アナザー・ハッピーデイ』だ。結婚式に集まる親戚一同の図、というと記憶に新しいところでは『レイチェルの結婚』(ジョナサン・デミ)を思い出さずにはいられない題材ではあるものの、『レイチェルの結婚』で”腫れ物”だったアン・ハサウェイの属性を登場人物の全員が抱えていたらどうなるか?という、まさに悲劇と喜劇が高速で行き来するような「パニック」な難題にサム・レヴィンソンは立ち向かっている。ここでは自らプロデュースと主演を務めたエレン・バーキンのトゥーマッチな演技に説得力をもたせるほどの各人の言葉と身振りのエゲツないまでの衝突によって、すべてをカウンセリングさせながら、ただひとつ包括的な治癒にだけは向かわず(「家族で前進す

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    okbc99 2011/10/27
  • 『人生はビギナーズ』(マイク・ミルズ/2011) - maplecat-eve’s blog

    マイク・ミルズの最新作『人生はビギナーズ』(来年2月に日公開)では、異なる時代を生きた父と息子の恋とアメリカの物語がパラレルにフィルムに描かれるのではなく、現行するキラメキと回想のキラメキとが変異的な編集で頻繁に、そして高速度にクロスすることによって同軸の物語として反復される。ここには長編処女作『サムサッカー』における少年の初恋のキラメキはそのままに、初恋のセカンドチャンス、サードチャンスは、前作以上のキラメキの中に素描され、男性・女性、または男性・男性をとらえたフィルムは、そのユーモラスな恋の反復をちょうど三回リズミカルに反復するだろう。アゲイン!アゲイン!アゲイン!そして、キス!キス!キス!この小気味よいリズムの三連符は、次から次へ「発見」をしてしまった、という歓喜のリズムなのだ。ここでユアン・マクレガーとメラニー・ロランによる「初恋」が何度目の「初恋」なのかは早速問題ではなくなる。

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    okbc99 2011/10/22
  • 『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』(ルパート・ワイアット/2011) - maplecat-eve’s blog

    『猿の惑星:創世記』の不意打ち感がハンパないのは、ルパート・ワイアットが、サム・ライミやトニー・スコット以降の次世代の映画作家である、という新鮮なオドロキによるものだけでなく、この映画作家の題材に対するケリのつけ方にひどく感銘を受けたことに多くを拠っている。エンドクレジットは人間より猿が先にくる、という計らい以上に、ルパート・ワイアットはこの作品で猿にCG処理を駆使することに対する「人間様」の傲慢にきっちりとケリをつけている。しかもアクションは直線的に結末へ向かうのではなく、世界の塵を磁石のようにフィルムに寄せ集めながらグイグイと強度を増して破局と再生(つまり革命だ)に向かって進んでいく。そこにはこのシリーズに対するリスペクトもあるだろう。猿の擬人化と人の擬猿化。なるほど、CGの猿があたりを軽快に跳ねていくアクションは、確実に『スパイダーマン』以降のものだし(当初予定されていたトビー・マグ

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    okbc99 2011/10/10
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