ブックマーク / massneko.hatenablog.com (27)

  • 特別展 埴輪の世界 @兵庫県立考古博物館・兵庫県加古郡播磨町大中 - 墳丘からの眺め

    前回は常設展だったが、今回は特別展「埴輪の世界」を。 この博物館へ来た主目的は、この展示が見たかったから。 特別展は一部屋だが非常に見ごたえがあった。 入口脇にあった「埴輪編年図」 弥生時代終わり頃の壺形埴輪、円筒埴輪に始まり、古墳時代前期には鶏や家、きぬがさが、中期になって靫や船形が現れ、中期から後期にかけて人物埴輪、そして馬などの動物の形が出てくる。 最初の埴輪は岡山県周辺で現れる。 西江遺跡(岡山県新見市・弥生後期)で出土した特殊壺が載る特殊器台。この特殊器台が古墳時代に円筒埴輪へ発展していった。器台の高さは1mほど。 帯の部分には弧帯文(S字を横にした文様)の透かし孔がある。 (説明部分はキャプションから。以下も) こちらも弥生時代後期、岡山県(倉敷市、女男岩遺跡)出土だが、器台の上に住居がのる「台付家形土器」 こちらも弥生後期、楯築(たてつき)墳丘墓(岡山県倉敷市)から出土した人

    特別展 埴輪の世界 @兵庫県立考古博物館・兵庫県加古郡播磨町大中 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2019/11/11
    埴輪、大好き!
  • 「塩田千春展 魂がふるえる」 @森美術館・六本木 - 墳丘からの眺め

    6月20日から10月27日まで4か月以上にわたって開催される、塩田千春の個展へ行ってきました。 作品はエントランスの頭上空間にも。 作品タイトルは「どこへ向かって」 公式サイトによれば天井から吊られた舟は65艘。 https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/04/index.html そんなに多くあったとは。 入口のサインは縫って描かれた雰囲気。 ほとんどの作品は撮影可で、観客のほぼ全員がカメラ・スマホを構えていた印象でした。 以下、これから展覧会へ行く方にはネタバレになります。余計な先入観が付くかも知れないので飛ばして下さい。 中へ入り込んで包まれるような三次元作品は、その場に行かないと味わえない、写真だけでは伝わらないものだとは思いますが… ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 最初の大部屋は「不確かな旅」 舟が燃え上がっているよ

    「塩田千春展 魂がふるえる」 @森美術館・六本木 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2019/07/12
    興味深い作品群。
  • 藪塚町立歴史民俗資料館 群馬県太田市藪塚町 - 墳丘からの眺め

    北山古墳の見学後は、丘を下りて温泉街の中にある資料館を訪ねた。 校倉造り風の堂々とした建物。 地元の温泉旅館・今井館の館主(考古学者)が父子二代で県内外から収集した埋蔵文化財などが旧藪塚町に寄贈され、昭和53年(1978)に開館した資料館だった。 一階入り口で入館料100円を納めて中へ。 階段脇に街道橋古墳出土の陶棺が置かれている(手ブレが酷いですが…) 二階展示室へ。撮影は最近OKになったと伺った。 ガラスケースに埴輪が並ぶ。 太田市内出土の人物埴輪たちは、なかなか壮観。 左右両端の2体は成塚町の業平塚古墳出土と記されていた。左の少年は真ん中分けの現代風ヘアスタイル。 出土地はわからなかったが、朝顔埴輪型の甕棺も。 台に直接置かれるものもあった。左は薮塚町・榎八幡遺跡出土の馬形埴輪。 中央の鷹匠埴輪はとてもよくできたレプリカ。 実物は世良田の新田荘歴史資料館で展示されていて、5年前に拝

    藪塚町立歴史民俗資料館 群馬県太田市藪塚町 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2019/06/26
    太田に行ったら行く!
  • 鎌倉文学館(旧前田侯爵別邸) 鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸) 甘縄神明神社 神奈川県鎌倉市長谷 - 墳丘からの眺め

    前回の吉屋信子記念館の前の道を200mほど西に行った突き当りに、鎌倉文学館の入口があった。 そこから門まで木立の中を進む。 門の先で観覧料(300~500円・展示による)を納めて敷地内へ。 その先には堂々としたトンネルがあった。 道を上がると建物の脇に出る。 とても大きな車寄せ。 その柱の模様。 車寄せの天井。 玄関。館内は撮影禁止だった。ここは文学館であり著作物が数多く展示されるため。 公式サイトによれば鎌倉文学館の建物・敷地は旧前田侯爵家別邸で、明治23年頃に15代当主の前田利嗣氏が土地を入手し和風建築を建てたことに始まるが明治43年に焼失、洋風で再建されるが関東大震災で倒壊、「長楽山荘」として建て直した建物を16代当主の前田利為氏が改築し、昭和11年に現在の洋館が完成したそうだ。 戦後はデンマーク公使や佐藤栄作が別荘として使用した時期もあり、三島由紀夫が小説「春の雪」での別荘のモデル

    鎌倉文学館(旧前田侯爵別邸) 鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸) 甘縄神明神社 神奈川県鎌倉市長谷 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2019/06/03
  • 江之浦測候所(前編)ギャラリー 神奈川県小田原市江之浦 - 墳丘からの眺め

    江之浦測候所は先月(2017/10/9)に開館した、杉博司の手による”アート・サイト” 構想10年・築造10年という時間がかかったそうだが、作品としての写真展示のほかに、由緒ある古い石材や、地形を活かした建造物や庭、そして遠く見通せる眺めも鑑賞対象となっており、まさに悠久の時間を“測候”する「生きている遺跡」のように感じた。 公式サイトに作家自身による解説やインタビューが掲載されているが、「測候所」という命名は、古代から行われてきたであろう「天空のうちにある自身の場を確認する作業」になぞらえれらている。 http://www.odawara-af.com/ja/enoura/ 場所は東海道線の真鶴の一つ手前の根府川駅から徒歩だと30分上ったところ。 チケット購入の際に、駅からのバス利用か施設の駐車場利用(どちらも無料)を選択する。自分は駐車場で予約し、後でバスに変更しようとしたが満杯で(

    江之浦測候所(前編)ギャラリー 神奈川県小田原市江之浦 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2017/11/11
  • 早稲田奉仕園スコットホール 東京都新宿区早稲田 - 墳丘からの眺め

    こちらも東京文化財ウィーク2017の東京都選定歴史的建造物の公開企画の一環。 都心と言ってもいいようなエリアに、こんな見事な赤煉瓦建物があったとは知らなかった。 大正10年(1921年)竣工、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。 日曜日には礼拝が行われる講堂(右)とセミナールーム(左)があり、一般も有料で利用できる。 中央の塔屋(階段部屋)が建物を特徴づける。 早稲田大学と戸山公園の間の丘の上、穴八幡宮の裏手になる(早稲田大学の建物ではない) 早稲田奉仕園の前身となる、学生寮「友愛学舎」を創設したのはこちらのH.B.ベニンホフ博士(1874~1949) こちらが講堂の入口。 窓のアーチ下の白く塗られた半円は当初からのデザインだそうだ。 2階の窓周りの柱やタイルに控えめな装飾が施されている。 煉瓦の色にムラがあるのは、均一な出来のものだけを選ぶような金銭的余裕がなかったからだそうだが、 そ

    早稲田奉仕園スコットホール 東京都新宿区早稲田 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2017/11/09
  • 稲毛民間航空記念館 千葉市美浜区高浜 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 現在、稲毛浅間神社前から海岸線までは2.7km。その間は住宅団地になっているが、海岸沿いは稲毛海浜公園となっていて、公園内には稲毛民間航空記念館がある。 9時~17時、月曜休館。入館無料。 稲毛海岸の干潟に、明治45年から大正6年まで日初の民間飛行場が開設されていたことに由来する。 民間航空発祥の地 稲毛 明治36年(1903)、人類初の動力飛行にライト兄弟が成功すると、明治43年(1910)には、日でも陸軍を主体とした組織が、輸入した飛行機で初飛行に成功します。すると翌年、民間人で飛行家の奈良原三次は新設された所沢の軍用飛行場で、自ら考案した奈良原式2号機で国産機の初飛行を果たしました。更にその翌年の明治45年(1912)5月、奈良原は千葉県稲毛海岸の干潟を利用して日初の民間飛行場を開設します。 潮が引いた時の限られた使用でしたが、よく締まった平らで障害物も少ない干

    稲毛民間航空記念館 千葉市美浜区高浜 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2017/06/11
    航空記念館、いつか行きたい。
  • 鼠坂 芥(ごみ)坂 浄瑠璃坂(仇討跡) 歌坂 鰻坂 東京都新宿区市谷鷹匠町、払方町、市谷砂土原町 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。市谷の大日印刷エリア内を徘徊中。 この周辺は クニャマップ に坂が多く記されていて前から気になっていた場所(中央やや上の2の谷) 中根坂の南で東側に入る小道があった。道の左右は公園を造成中。 少し先に鼠坂があった。 かつては上り口の右側に標柱があったようだが今はない。 こちらの方のサイトによると、鼠の通り道のように細くて狭かったからとの由来があった。新宿区の坂(3)市ヶ谷駅周辺 「鼠坂」という坂は文京区や港区にもある。どちらも雰囲気のある坂だった。 服部坂 小日向神社 大日坂 鷺坂 今宮神社 八幡坂 鼠坂 東京都文京区小日向・音羽 - 墳丘からの眺め 狸穴坂 鼠坂 植木坂 麻布郵便局(旧逓信省庁舎) 東京都港区東麻布・麻布狸穴町・麻布永坂町・麻布台 - 墳丘からの眺め 路面は修繕直後のようだったが石垣は古そう。 上って振り返ったところ。 坂の南側は建物の解体工事中。 大

    鼠坂 芥(ごみ)坂 浄瑠璃坂(仇討跡) 歌坂 鰻坂 東京都新宿区市谷鷹匠町、払方町、市谷砂土原町 - 墳丘からの眺め
  • 重要文化財 勝鬨橋見学ツアー(中編)・運転室 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 「橋の資料館」でビデオを見て、いざ出発。 この日は見学者6名に対し、係りの方も6名付いて万全の体制。 歩道を一列になって橋脚部へ向かう。 途中、円形金具が埋められた場所は、かつて橋が開いたときに歩行者が待つ先頭を示すラインだった。奥に信号機が残り、その後ろに見えている通路上の建物が「運転室」。 勝鬨橋は川中左右2ヶ所に橋脚があり、それぞれに道を挟んで塔屋が乗る。 その間の道路下に、橋を跳ね上げる機構が隠れている。 (橋の資料館にある模型) 4つある塔屋のうち、橋の資料館に最も近いところ(築地市場側)が運転室。 運転室に入る前に、まず橋の中央部へ。 上部の枠は都電の架線用。開閉していたころは橋の上を都電が通っていた。 明かりは点くようになっているようだ。夜景も撮ってみたい。 中央の接続部分。 交通量が多く、このあたりは常に結構揺れていた。 河口側には「築地大橋」 橋は2014

    重要文化財 勝鬨橋見学ツアー(中編)・運転室 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/10/30
    行ってみたい。でも、申し込みが大変そう。
  • 日本基督教団麻布南部坂教会~広尾の路地 東京都港区南麻布4丁目・渋谷区広尾5丁目 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 がま池見学の後は、広尾駅の方へと向かった。 麻布運動場を過ぎようとするあたりに現代美術館のような建物があった。 あとで住所から検索したら、アパホテル社長の邸宅との情報があった。 そこを過ぎて有栖川公園沿いの南部坂を下る。公園内は昨年訪ねたが坂は歩いていなかった。 有栖川宮記念公園 南部坂 木下坂 東京都港区 - 墳丘からの眺め 坂の南側はドイツ連邦共和国大使館。 そこからさらに少し下りると教会があった。 ・日基督教団麻布南部坂教会 昭和8年(1933)築で、設計はヴォーリズ。 港区ゆかりの人物データベースサイト 日基督教団麻布南部坂教会 上記の港区のサイトに解説があった。 南麻布の南部坂に面して、有栖川宮記念公園に向かい合うように位置しています。設計は宣教師として来日したヴォーリズです。昭和8年(1933)に献堂式が行われました。教会堂建設は、募金活動およびドイツ改革派

    日本基督教団麻布南部坂教会~広尾の路地 東京都港区南麻布4丁目・渋谷区広尾5丁目 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/10/01
    懐かしい。
  • 発掘された日本列島2016 弥生・古墳時代編 @江戸東京博物館 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 こちらは弥生時代の大型甕棺。 福岡県福岡市の岸田遺跡(弥生前期末~古墳中期:約2200~1600年前)の出土。 丘陵上に78基の墓が見つかり、弥生時代前期末~中期初頭の甕棺から剣や矛などの青銅器が数多く出土している。 これだけ大きな甕をつくるのは今でも大変なことだろう。 こちらも弥生時代の河原口坊中(かわらぐちぼうじゅう)遺跡。 弥生時代中期から後期(約2100年前~1750年前)を中心とした大規模な集落遺跡で、神奈川県の中心を流れる相模川左岸の自然堤防上に立地します。約500棟もの竪穴建物を発見し、神奈川県内で3例目となる小銅鐸が出土しました。 川跡の湿潤な場所だったので木製品などもよく残っている。 川の跡から出土した遺物には土器や石器のほかに、卜骨などの骨角器、板状鉄斧などの金属器、農具や漁労具、紡織具、建築部材などの木製品があります。これらの遺物は弥生時代のくらしぶり

    発掘された日本列島2016 弥生・古墳時代編 @江戸東京博物館 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/07/07
    水鳥型埴輪、大好き!
  • 重要文化財・旧下野煉化製造会社煉瓦窯(野木町煉瓦窯ホフマン館) 栃木県野木町 - 墳丘からの眺め

    5月14日の土曜日、 4月末に旧日煉瓦製造ホフマン輪窯で見たポスターに惹かれ、5月10日に修復を終えて公開が始まった栃木県野木町の煉瓦窯(重要文化財)を見に行った。 明治23年(1890)に完成した、美しい煉瓦積みのホフマン式輪窯。5月15日までは「グランド オープン ウィーク」期間中だった。 東北自動車道の加須ICから車で30分ほどの場所にある。家を早めに出て9時半ごろに着いたがすでに見学ツアーは始まっていた。 10~20名のグループに分かれてガイドの方の説明を聞く。 テント脇にあった解説板。 野木町(旧下野煉火製造会社)煉瓦窯 ・下野煉化製造会社の概要 下野煉化製造会社は、明治21年(1888)10月に設立、明治・大正・昭和期と赤煉瓦を中心に製造を続けました。 前身となる東輝煉化石製造所が明治21年(1888)1月に先行して近くの旧谷中村(現在の渡良瀬遊水地)に設立され、そこで製造さ

    重要文化財・旧下野煉化製造会社煉瓦窯(野木町煉瓦窯ホフマン館) 栃木県野木町 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/06/09
    これはたまりません。^^
  • 壺屋やちむん通り界隈・1 沖縄県那覇市壺屋 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 土曜日はブラブラできる時間が3時間程あったので、ブラタモリで紹介されていた登り窯を見ようと思い、ゆいレールの牧志駅で下車。 スマホを頼りに国際通りから裏道に入ってみた。 魅力的な路地だらけ。 陶片が埋め込んである道に出た。 道の中央には魔除けのようなタイルも。 坂の上にはお花屋さんの"跡”があった。 その先には魅惑的な二股路が。 右の下る道を選んで進む。 空手道場があった。 古そうな石垣に突き当たった。 その先にはオーラが漂う一角がある。 来た道を振り返って。家々は台風に強いコンクリートブロック造り。 オーラのある木立は「ビンジュルグワー」という拝所だった。 以下は説明板より。 ビンジュルグワー ビンジュルグワーは、ビジュルとも呼ばれて、壺屋の土地や集落を守るタチクチ(村建て)の神様をまつっているところです。 毎年旧暦1月、3月、6月、8月、9月、12月の壺屋の拝みのときに

    壺屋やちむん通り界隈・1 沖縄県那覇市壺屋 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/04/21
    沖縄に住みたいんだけど、虫が…大きいのよね…
  • 足立区郷土博物館 東京都足立区大谷田 - 墳丘からの眺め

    足立区郷土博物館は綾瀬車両基地から東に700mほどにある。 博物館のサイトの「アクセス」の項では亀有駅か綾瀬駅からのバス利用となっている。 博物館の前には水路と「ひがしふちえ橋」があった。 橋の下は葛西用水路。葛西用水路 - Wikipediaの概要には、日三大農業用水のひとつとあった。流域面積は6000ha=60平方kmなので山手線の内側位になる。ここでは親水公園になっていた。 郷土博物館前の銅像。 何を見ているのかと説明板を読んでみたら、名文に出会った。 この地域一帯は、かつて東京府南足立郡東渕江村と呼ばれていました。東は中川、西は綾瀬川の清流に恵まれ、静かな田園風景が緑ゆたかにひらけていました。のどかな春には中川堤の桜並木が光まぶしく咲きほこり、みのりの秋には黄金の稲穂が風になびいて、人びとの心なごます美しい農村地帯でした。 やがて時移り、都市化の波が押し寄せてきて、このあたりも昭

    足立区郷土博物館 東京都足立区大谷田 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/02/16
    懐かしさ満載。
  • あらかわ遊園付近の煉瓦塀 東京都荒川区西尾久 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 現在のあらかわ遊園の境界塀。煉瓦製だがイメージしていたものと違う。 一南側の通りへ行ってみた。 すると、ありました! 遊園の歴史 荒川区公式ホームページ 大正11年(1922年)5月の開園当初に作られた煉瓦塀。その翌年の関東大震災にも耐えたことになる。 道路のカーブに沿って曲りながら続く煉瓦塀。 内側は別々のお宅が建つ。 ふさがれた丸穴。 ごみ回収も煉瓦の前で。 見事なアーチがある場所も。 こちらのお宅では煉瓦塀側に玄関を設けていたが、壁も煉瓦タイルで合わせていた。 場所によって異なるが、高さは180~190cmほどか。 凹型のカーブも。 中帯の上段は長手積み、下段はイギリス積み(長手の列と小口の列とが交互になる) 煉瓦塀の全長は175mになるそうだ。 中帯の中も煉瓦だった。 ここは修復が必要か。 枝道から民家の庭側から。 曲り角の「角」 曲がり角の先にもつづく。 この一

    あらかわ遊園付近の煉瓦塀 東京都荒川区西尾久 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/02/12
    幼少の頃に見ているはず。
  • 富士見坂 諏方神社 地蔵坂 東京都荒川区西日暮里 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 この日は文京区千駄木の旧安田楠雄邸~台東区谷中の朝倉彫塑館~荒川区西日暮里の富士見坂というルートで歩いた。境が入り組んでいる興味深いエリア。 地図を見ると、台東区・谷中銀座の「夕焼けだんだん」も階段の周囲だけ荒川区・西日暮里なので、地番が付いた後に階段がつくられたことが想像されて面白い。 そこから北に200mほどの場所に富士見坂がある。 煉瓦の壁が素晴らしい。 車も通れる坂だった。 途中から振り返って。春には煉瓦と桜の競演が見られそう。 さらに上の位置から坂下方向。 坂上に説明板があった。 富士見坂 坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称「花見坂」、または「妙隆寺坂」と称された。 都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である【都心にいくつかある富士見坂のうち、最近まで地上か

    富士見坂 諏方神社 地蔵坂 東京都荒川区西日暮里 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/01/29
    富士見坂、必見!
  • 観音寺築地塀 蛍坂 岡倉天心宅(日本美術院)跡 東京都台東区谷中 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 朝倉彫塑館の見学後の、界隈の路地巡り。 微妙なカーブが魅力的な小道。 板塀の家の先は谷中霊園。 もとの道(朝倉彫塑館の前の道)に戻り、観音寺の先を右折すると築地塀があった。 「平成4年度 台東区まちかど賞」のプレートが付いている。 台東区のサイトによれば長さは37.6m。国登録有形文化財。江戸期につくられた「練り塀」 「築地塀【観音寺】」|TAITOおでかけナビ 土を焼く建築材料は江戸期までは瓦だった。煉瓦は、はじめは大砲などの鉄を精錬する炉の素材として、明治の近代化とともに広まった。下の扉は「潜り戸」というそうだ。 観音寺築地塀 文化遺産オンライン 瓦と土とが交互に積まれる。ランダムなようでいて直線が平行に繋がっていて見事。震災(関東大震災)による崩壊箇所の補修もあるそうだ。 道の反対側の塀も瓦を埋め込んでいるが、瓦は意匠として使っている雰囲気だった。 反対側から。 その

    観音寺築地塀 蛍坂 岡倉天心宅(日本美術院)跡 東京都台東区谷中 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/01/28
    この塀はぜひ見たい!
  • 重要文化財・日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所(煉瓦資料館) 埼玉県深谷市上敷免 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 ”深谷シリーズ”も11回目になって、やっと当初の目的地に。 尾高惇忠の生家を訪ねた後にコンビニの駐車場で遅い昼のおにぎりをべて、最後に日煉瓦製造(株)の製造施設へ向かった。 旧事務所棟が資料展示施設になっていて、前に駐車場がある。 入館が15:30までと最初に訪ねた誠之堂の方に聞いていたが、結構間際の時間になっていた。 まずは説明板。 日煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所 重要文化財(建造物) 平成9年5月29日指定 建物は明治21年頃の建設で、煉瓦製造施設の建造と煉瓦製造技術の指導に当たったナスチェンテス・チーゼ技師が住居兼工場建設事務所として使用したと伝えられている。地元の人々からは「教師館」「異人館」の名で呼ばれていた。 日煉瓦製造株式会社は、明治政府が計画した洋風建築による官庁街建設を推進するため、煉瓦を大量に供給する民営工場として、渋沢栄一らが中心

    重要文化財・日本煉瓦製造株式会社旧煉瓦製造施設 旧事務所(煉瓦資料館) 埼玉県深谷市上敷免 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/01/20
  • 清風亭 埼玉県深谷市 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 誠之堂の煉瓦壁を堪能した後、お隣の清風亭を見学した。 以下は現地説明板より。 清風亭(せいふうてい) この建物は大正15年(1926)に第一銀行2代目頭取、佐々木勇之助の古希(70才)を記念して、現在の東京都世田谷区瀬田に在った銀行の保養施設「清和園」内に建てられました。設計は銀行建築に活躍した西村好時(よしとき)、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。 建築面積は168.48㎡、棟までの高さは5.836mを測ります。構造は鉄筋コンクリート造、外観は人造石掻落し仕上げの白壁にスクラッチタイル(ひっかき傷をつけたタイル)と鼻黒煉瓦(黒褐色のれんが)がアクセントをつけ、屋根には瑠璃色の釉薬をかけたスパニッシュ瓦(スペイン風を模した丸瓦)が葺かれています。大正12年(1923)の関東大震災を契機に建築構造の主流となった鉄筋コンクリート造の初期の事例として、建築史上貴

    清風亭 埼玉県深谷市 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/01/20
    スクラッチ煉瓦を堪能。
  • 重要文化財・誠之堂 埼玉県深谷市 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 深谷駅で周辺マップをいただき、まずは重文の煉瓦建築から見て回ることにした。 重要文化財 誠之堂(せいしどう) 大正5年(1916)竣工。設計は田辺淳吉。 場所は、大寄(おおより)公民館の敷地内にある。 誠之堂・清風亭のご案内/深谷市ホームページ 公民館事務室で見学を申し出て、ガイドの方の説明を受けながら回る。 見学無料。 誠之堂と清風亭という建物が並んで建つ。はじめに誠之堂を見学。 誠之堂(せいしどう) この建物は大正5年(1916)年に第一銀行の創設者、渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して、現在の東京都世田谷区瀬田に在った銀行の保養施設「清和園」内に建てられました。設計は後に大正建築の名手と称される田辺淳吉、施工は清水組(現在の清水建設株式会社)が行いました。 建築面積は113.30㎡、棟までの高さは4.230mを測ります。構造は補強煉瓦造、外観は焼きの異なる3色の煉瓦が組

    重要文化財・誠之堂 埼玉県深谷市 - 墳丘からの眺め
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    okko326 2016/01/20
    行ってみたい!