五大老・前田利家が没。 今日は何の日 慶長4年閏3月3日 慶長4年閏3月3日(1599年4月27日)、前田利家が没しました。「槍の又左」の異名を持ち、豊臣政権の五大老としても知られます。 尾張国の荒子城主・前田利春の四男に生まれた利家は相当な傾奇者で、若くして織田信長に仕え、親衛隊の「赤母衣衆」として得意の槍をもって活躍します。そのため「槍一本で大名になった」などともいわれますが、武勇だけでなく、軍略や人心掌握術にも優れていました。正室はまつ。羽柴秀吉・おね夫婦とは家族ぐるみで仲が良く、後に利家の娘・豪は秀吉夫婦の養女となっています。 北陸方面軍司令官の柴田勝家の与力として武功を重ねると、利家は能登一国を与えられ、七尾城主となりました。しかし賤ヶ岳の合戦では上役の勝家と親しい秀吉との板ばさみになり、自主的に戦線離脱し、秀吉の信用を得ることになります。その功で加賀二郡を与えられると、本拠を能