2008年10月30日のブックマーク (2件)

  • ボクタチの闘争 - kom’s log

    「同じ人間だろ」は断固否定しなくてはならない。同じ人間ではない、という基的な態度をとるべきなのである。 同じではないから、対話が必要なのであり、理解できる部分とできない部分を見極め、合意を形成し、ボトムラインの線引きを行う。ここからここまでは合意に達しましたね、ということで。同じ人間はそもそもありえない。同じ、ということはありえないと絶望しつつも合意が形成できることに僥倖を感じつつそこに社会関係がうまれる。 たとえばこのあたりにみられるように大騒ぎしている某府知事。バカだ、と一蹴すればよい話なのだが、そういっていられるのは実は今日明日の話であって、今後15年ぐらいのスパンで考えれば一蹴するわけにもいかぬ症状である。この人間が考えているのは競争だ。しかもその頭にあるのは、自分を競争という闘争の場から一歩引いて競争とはなにか、競争はこの場面においてあるべきか、といった思想ではない。人がたと

    ボクタチの闘争 - kom’s log
  • きまぐれな日々 橋下徹をめぐる月とスッポン・両極端のブログ言論

    年内の解散総選挙の線が消え、麻生太郎首相は今後激変する世界情勢の下、日の舵取りをしなければならなくなった。どの政党、どの政治家がやったって難しいに局面には決まっているが、「チェンジ」が求められる時代に、しがらみの多い制約下で対応を求められる麻生は、貧乏くじを引いたようなものだろう。閣僚の3分の2が世襲議員である麻生内閣にろくなことができるはずがないが、自分で解散先送りの道を選んだのだから自業自得だろう。祖父の吉田茂のように、来の体質である保守反動的な思想信条に反する道をとる政治的な柔軟性が麻生にあれば、まだ多少は期待できるかもしれないが、果たしてどうだろうか。 ところで、新自由主義の時代は終わったといえそうだが、コイズミ的な劇場政治の時代は全然終わっていないらしい。昨今の橋下徹に対する異様な支持の高さを見ていて、ことの重大さに勘の鈍い私もようやく気づいた。うかつにも、あんなやつを支持す