多数の市民が亡くなった星川。北村西望作の「戦災者慰霊の女神像」が1975年に建立された=埼玉県熊谷市で8月10日、隈元浩彦撮影 ポツダム宣言の受諾を決めたなかで、米軍による「最後の空襲」に見舞われた埼玉県熊谷市。もてあそぶように、おびただしい命が奪われた。その惨劇下、逃げ惑う群衆の中に作家、森村誠一さん(88)がいた。2021年上半期のベストセラーとなった「老いる意味」(中央公論新社)で大病を患っていたことを告白したが、「熊谷空襲の悲劇の継承は、体験者の務め」と書面インタビューに応じ、コロナ禍でよみがえった空襲の記憶を語った。【まとめ・隈元浩彦】 一時は体重が30キロ台にまで落ち、長いトンネルの中をさまよっているようでした。「老人性うつ病」と診断されたのは、今から5年ほど前。認知症との合併も疑われました。 言葉の消失は作家にとって致命的です。長い戦いの始まりでした。脳からこぼれ落ちた言葉を