ライトノベルに関するook1986のブックマーク (2)

  • 月初の曜日と電撃文庫が書店に並ぶ日の関係。

    http://d.hatena.ne.jp/kim-peace/20100309/p1 調査対象は2006年4月発売~2010年3月発売の48ヶ月分。データ元はライトノベル板電撃文庫スレのゲット報告。表は縦が各月一日の曜日、横が都内電撃組で販売が確認された日(以下「販売」or「販売日」)、各セルが販売日の曜日と確認回数。\5日6日7日8日9日備考月金5---火39日の1回はGW明け(2006年)、1回は3月(2010年)火---火7-8日の1回はGW明け(2007年)水--火2水3-木--水6木1-8日はGW明け(2008年)金-水4木1金2-8日の1回はGW明け(2009年)土水1木3金3--日木5金2--- 電撃文庫の販売日は基的に5日~8日の間で、土・日・月は販売日になってない。 9日販売も今月含め3回あるけど例外的だと思う。そのうち1回はGW明けだし、今月は前の月が28日までと短

    月初の曜日と電撃文庫が書店に並ぶ日の関係。
  • 『空色パンデミック(1)』 - 積読を重ねる日々

    『空色パンデミック』(田誠/ファミ通文庫)を読んだ。 セカイ系もここまで来たのか、と感慨深く読んだ。セカイ系と言う主観のみが支配するジャンルを、メタに構築するという誰もやらなかったことを成し遂げたと言う意味では、実に革新的な作品であったと思う。セカイ系と言うのは、セカイと個人が直結している作品を指す言葉であるわけで、そこに来は客観の入る余地はないんです。客観的にものを見たら、セカイが自分に直結しているなんて信じられるわけが無いわけで。現実的には、セカイとは世界であり社会が個人の間を横たわっている。その俯瞰視点を持ってしまったとき、セカイ系は終焉を迎えることになるのだ。 しかし、そこであえて”社会と共存するセカイ系が存在したらどんなものなのだろう?”と言う問いを投げかけた点、それこそが実に見事でした。この作品における空想病という設定はまさしくコロンブスの卵とも言える発想の転換ではないかな

    『空色パンデミック(1)』 - 積読を重ねる日々
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