[ロンドン 10日 ロイター BREAKINGVIEWS] - 2002年11月、当時のバーナンキ米連邦準備理事会(FRB)は、経済学者ミルトン・フリードマンの90歳の誕生日会に出席した。フリードマンは著書で、1929年の世界恐慌の原因を、FRBの政策の失敗だと指摘していた。 フリードマンの学説を熱烈に信奉していたバーナンキ氏は国民のために謝罪し、FRBは二度と同じ過ちを繰り返さないと誓ったのだ。 それから6年もたたない08年9月15日、バーナンキ氏はFRB議長としてリーマン・ブラザーズ破綻という運命の日を迎え、新たな大恐慌を招き寄せることになった。だが今から見れば、同氏は自分が表明した約束を果たす準備ができていたことになる。 大恐慌への対応として打ち出されたのは、米国だけでなく世界中でも過去にない大胆な金融政策の実験だった。金利は米国で長年ゼロ近くに抑え込まれ、他の地域では広くマイナス圏