「手の皮膚を引っ張って30cmくらい伸ばす」 「頭の骨を手で直接触ってみる」 そんな"非現実"を現実にさせる研究室がある。 「からだの錯覚」の扉、開いてみた。 (NHK名古屋 記者 河合哲朗) ある日 1通のメールが 私(=記者)は、名古屋局で大学の取材を担当している。 日々、さまざまな大学から「こんな研究成果が出た」とプレスリリースが届く。 そんな中、あるメールに目が止まった。 国際学術誌に論文が掲載されたというその発表、タイトルはこうあった。
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イスラム教徒しか入れない大巡礼「ハッジ」の世界 世界中のイスラム教徒がサウジアラビアの聖地メッカに集う大巡礼「ハッジ」。今年は8月19日から24日ごろまでの間に230万人以上のイスラム教徒がメッカを訪れました。ただでさえ取材が難しいサウジアラビアですが、この大巡礼はイスラム教徒しか立ち入ることはできません。NHKドバイ支局のリポーターとカメラマンが、大巡礼の世界をご紹介します。 世界中のイスラム教徒がサウジアラビアの聖地メッカに集う大巡礼「ハッジ」。今年は8月19日から24日ごろまでの間に230万人以上のイスラム教徒がメッカを訪れました。ただでさえ取材が難しいサウジアラビアですが、この大巡礼はイスラム教徒しか立ち入ることはできません。NHKドバイ支局のリポーターとカメラマンが、大巡礼の世界をご紹介します。 関連するVR VRの視聴方法 画面の右上にある十字ボタンで画面を動かせます。 画面の
※1オリジナル音源の使用も可能ですが、その際には楽曲の著作権などに留意して使用許諾のあるもののみをご使用ください。 ※2YouTubeやVimeo等、ウェブ上で閲覧可能な場所へのアップをお願いいたします。プライベート設定でのアップでも問題ありません。 作者自身に著作権のない素材の使用はご遠慮下さい。 締め切りを過ぎてお送り頂いた作品は、選考の対象には含まれません。 優秀作品の発表は、締め切り直後に放送する番組で行います。 優秀な作品は番組「テクネ 映像の教室」また番組ホームページなどで公開します(公開情報は番組サイトでご案内します)。NHKの行う活動に利用(作品を「テクネ」以外の番組で利用、広報活動で利用など)またNHKの関連会社等NHKの指定する第三者が「番組」を販売、番組関連の書籍出版化、DVDなどの市販商品化をする可能性があります。 ID映像の著作権は著作者に帰属します。(ID映像を
1968年、新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代─―求道の文学」にて第 14 回三田文学新人賞評論部門当選。2016年『叡知の詩学─―小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)で第2回西脇順三郎学術賞を受賞。著書に『神秘の夜の旅』(トランスビュー)、『魂にふれる─―大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『霊性の哲学』(KADOKAWA/角川学芸出版)、『生きる哲学』(文春新書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『イエス伝』(中央公論新社)など、和合亮一との共著に『往復書簡─悲しみが言葉をつむぐとき』(岩波書店)。 ◯『苦海浄土』 ゲスト講師 若松英輔 『苦海浄土』とは何か 『苦海浄土』は、一九六九年に刊行され、翌七〇年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれます。しかし、著者の石牟礼道子は受賞を辞退しました。 理由は、公表されていませんが、彼
「補償金支出の歯止めが欠落している」「そのままでは、ザルに水を注ぐがごとしだ」 今回、NHKが独自に入手した、チッソ元副社長が残したとされる手記。 記されていたのは、加害企業チッソを手厚く救済する一方で、水俣病患者への補償金を抑えようとする政治家や官僚の思惑だった。 水俣病公式確認から60年、初めて明らかになる真相とは?極秘資料と関係者への取材で知られざる水俣病の真相に迫る。
フェリス女学院大学教授 矢野久美子 今から50年ほど前の1960年代前半、ナチスの犯罪をめぐる裁判レポートが、大きな論争を引き起しました。これからお話しするのは、その裁判レポートの著者が何を語ろうとしたのか、ということについてです。 1906年にドイツに生まれたユダヤ人女性で、政治哲学者です。彼女は、ヒトラーの反ユダヤ主義政策によって、ドイツから脱出せざるをえなくなり、1933年にパリに亡命しました。しかし、第二次世界大戦によってフランスで生きることも危うくなり、アメリカ合衆国へと避難し、そこで1945年の終戦を迎えます。 ナチスの全体主義政権下では、ユダヤ人をはじめとする大量の人間が、強制収容所やガス室をともなう絶滅収容所で、生きる価値を奪われ意味なく殺戮されるという事態が起こりました。人間を無用のものとするような言語道断の国家犯罪がなぜ起こったのか、どのようにして起こったのか。こうし
2014年06月25日 (水) フェリス女学院大学教授 矢野久美子 今から50年ほど前の1960年代前半、ナチスの犯罪をめぐる裁判レポートが、大きな論争を引き起しました。これからお話しするのは、その裁判レポートの著者が何を語ろうとしたのか、ということについてです。 著者の名前はハンナ・アーレント。昨年、映画でも話題になったその人です。 1906年にドイツに生まれたユダヤ人女性で、政治哲学者です。彼女は、ヒトラーの反ユダヤ主義政策によって、ドイツから脱出せざるをえなくなり、1933年にパリに亡命しました。しかし、第二次世界大戦によってフランスで生きることも危うくなり、アメリカ合衆国へと避難し、そこで1945年の終戦を迎えます。 ナチスの全体主義政権下では、ユダヤ人をはじめとする大量の人間が、強制収容所やガス室をともなう絶滅収容所で、生きる価値を奪われ意味なく殺戮されるという事態が起こ
今月20日にゲームクリエーターの飯野賢治さんが亡くなりました。42歳でした。 このニュースは、先週の金曜日に聞いたのですが、あまりに突然のことで、いまだ驚きを隠せません。 飯野さんは卓越したゲームクリエーターで、特に「Dの食卓」という作品が有名です。 NHKの番組にもこれまで多くご出演していただいており、「クローズアップ現代」には、1996年7月4日の回にご出演いただきました。 その時のタイトルは、「天才を探せ~激化するゲームソフト人材獲得合戦~」でした。 飯野さんは、この回の後半、20分すぎからVTRで登場しています。 このブログでは、「クローズアップ現代」のご出演回の中で、飯野賢治さんが発言されていることをテキストで再録することで、哀悼の意を表したいと思います。 (以下、1996年7月4日放送、「天才を探せ~激化するゲームソフト人材獲得合戦~」より、飯野賢治さん関連の部分を
書家、陶芸家、そして美食家として、独自の芸術を生み出した、北大路魯山人(1882〜1959)。生前から倣岸不遜(ごうがんふそん)、大言壮語(たいげんそうご)と、悪評が付いて回った。 何必館・京都現代美術館館長 梶川芳友は、20代のころ、魯山人の器と出会い、悪漢、魯山人の正体に興味を覚え、半世紀にわたり作品を収集してきた。そして実際に使っていく中で、魯山人の器は、「使う人間の器量を測る器」と思うようになった。 どのようなものを乗せ、取り合わせるか、使う人間の感性が問われると言う。それは魯山人から与えられた宿題のようであり、それを解くために50年の歳月が費やされた。 ひとつの器が、取り合わせによって表情を変える一器多様の面白さ、これしかないという一器一様の使い方。魯山人に梶川が美の真剣勝負を挑んでいく。 生前魯山人は、「高みを行く人間は、大衆には決して理解されない」と言っていた。
2009年7月5日放送 【アンコール】2009年9月13日放送 私は自然になりたい 画家・犬塚勉 出演 桜田晴義さん(画家) 井出洋一郎さん(府中市美術館館長) 何気ない草むら、石だらけの尾根、風雪にさらされたブナの幹。そこにひそむ自然の息吹を、全身全霊で感じとって絵にしたい一心で、山に登り続けた画家がいる。犬塚勉(いぬづかつとむ1949-1988)。奥多摩に住み、小学校や中学校の美術教師をつとめながら、学校の美術準備室をアトリエに作品を描き続けた。去年、没後20年を機に何度か展覧会が開かれて以来、静かな話題を呼んでいる。 その特徴は、写真と見まごうほどのリアリズム。しかし、あまりにも精ちな筆づかいで表現された細部からは、写実を突き破らんばかりの思いが伝わってくる。犬塚は、厳しいランニングを日課にし、自然食に切り替え、身も心も鍛え抜いた飾り気のない人間になって、ようやく草や木が描けると考え
1963年生まれ。北海道出身。武蔵野美術大学卒。大学在校中にヤングマガジン誌上で漫画家としてデビュー。1997年に初監督作品『パーフェクトブルー』を発表、国内外で高い評価を得る。現在、NHK BS2「デジタル・スタジアム」にキュレーターとして出演中。 「デジタル・スタジアム」ホームページ 今 敏オフィシャルサイト KON'STONE (NHKサイトを離れます) 私は武蔵野美術大学でいわゆるグラフィックデザインを専攻していたのですが、「ヤングマガジン・ちばてつや賞」という漫画賞で優秀新人賞を貰い、在学中に漫画家としてデビューしました。とは言ってもときどき短編を書いて発表するだけの、ほとんど自称漫画家という程度だったのですけどね。卒業後もたいして状況は変わらず、年に数本の連載の他に、カットとアシスタントの収入でどうにか生活していました。 そんなわけで、私はこれまで一度も就職したことがないん
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