この記事に興味を示された方は、まずこちら『映画が抱えるお約束事』の方をどうぞ。 以下の内容の前提が記されています。 『プルート』より、10万馬力から100万馬力に改造されたアトムが心の優しさを維持しようと最後の一線で立ち止まる雨のシーン。 10万馬力から100万馬力に改造されたことで、心のやさしさを失い、単なる破壊機械に作りかえられたかもしれないアトム。 カタツムリを拾い上げ、その生命の意味を理解できないままに潰してしまうかもしれない。 御茶ノ水博士はその様子を固唾を呑んで見守っている。 アトムは、ギリギリの一線で、自分の心の存在を確認し、 100万馬力であろうとも、今までどおりのやさしさを自らの中に再び見出す。 ここで、御茶ノ水博士の立ち居地に注目してみますと、 基本ずっと赤側の立ち居地です。 このカタツムリでアトムの心の有り方を表現する沈黙のシーンですが、 その始まりでは御茶ノ水博士は
「あなたは眠くなる、眠くなる‥・」 ――あったりまえやんか、5時間しか寝とらんわい(日本人は先進国30ヵ国中2番目に睡眠時間が少ない) 「あなたは、お腹が減ってきた、もうペコペコで、お腹がグーグーなっている」 ――そりゃ、もうすぐ12時だがね、お腹も減るわさ。 「はい、体が、ぐらぐらしてきた」 ――片足立の不安定なポーズをとらせといてそれはないやろ。 あほらしい話ですが、これが催眠術の基本です。 当然の成り行きでそうなるはずのことを、催眠術師が命令した故にそうなったと錯覚することで、催眠術にかけられる方は、段階的に深みにはまっていく。 ヒプノ・ボード。単純な渦巻き絵だが、これを一定速度で回されると、目が焦点を合わせることができない。これだけを見つめていると、焦点が合わせられない上に、白黒の単調なコントラストが目に残像として数秒間残り、視覚が歪められる。これ自体は、当然のことなのだが、 催眠
のび太の部屋の本棚って、本が詰まっているんですが、背表紙の文字が書き込まれることはほとんどなくて、 一応、本に見えるものが詰まっているという情報が与えられているに過ぎません。 それらの「本」は読まれることもなく、手に取られることもありません。 それゆえ、どんなことが書かれてあるどんな本か、ということはどうでもいいことで、ただ単に本に見えればそれでいいはずです。 つまり、このマンガの中で、本棚に本は存在するのか?というと、本らしきものは存在するのだけれど、それは、家具屋の本棚の中にあるような張り子の百科事典のようなものに過ぎないと言えるかもしれません。 現実の本棚、例えば公立図書館の地下書庫なんかの何年も放置されているような書架でさえ、そこに詰まっている本は、実際の本です。 私が生涯を通してその書架の本を一冊もてに取らなかったとしても、更には図書館の地下書庫の存在について無知なままであったと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く