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2022年12月12日のブックマーク (5件)

  • 調べて、整理して、発信するのが好き。「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由|tayorini by LIFULL介護

    調べて、整理して、発信するのが好き。「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由 #老後も楽しむ 公開日 | 2022/12/12 更新日 | 2024/05/10 インターネットが世の中に急速に普及した、1990年代後半から2000年代前半ごろ。当時はまだ、ブログやSNSといった手軽な情報発信ツールが一般的ではありませんでした。 そんな時代に情報発信をするにはWebサイトが必要で、Webサイトを制作するためには専用のHTML言語を習得する必要がありました。 書籍だけでなくインターネットにもHTMLを学べるコンテンツはさまざまありましたが、中でももっとも多くの人が参照したであろうサイトが「とほほのWWW入門」。Webサイト制作に関する膨大な情報がきれいに整理されており、素人でも分かりやすくHTMLについて学習できる「先生」のような存在です。 とほほのWWW入門は1996年に開

    調べて、整理して、発信するのが好き。「とほほのWWW入門」管理人が26年間も更新を止めない理由|tayorini by LIFULL介護
  • 【水星の魔女】宇宙議会連合、フォルドの夜明け、ボブ、世界観が一気に広がる第10話

    百合@ポーター・ブリッジス🇯🇵🇺🇦 @L_lily_Porter ミオリネ忙し過ぎてスレッタへの態度が素っ気ない😭 そして百合の間に挟まってんじゃねえええええええ!!!!💢💢💢💢💢💢 このエランは廃棄処分さっさと直火で炙った焼きトウモロコシになれ🔥🌽💢 #水星の魔女 #G_Witch pic.twitter.com/862LRtxVsy 2022-12-11 19:55:15

    【水星の魔女】宇宙議会連合、フォルドの夜明け、ボブ、世界観が一気に広がる第10話
  • 『ゴールデンカムイ』作者が“打ち切りマンガ”を描きなおす理由【野田サトル氏インタビュー】

    2023年4月からアニメ第4期の放送再開が決まった『ゴールデンカムイ』は、明治末期の北海道を舞台にした金塊を巡るサバイバルもので、原作漫画は累計発行部数2300万部超の大ヒットを記録した。 「週刊ヤングジャンプ」誌上で2022年4月に約8年の連載に幕を下ろしたが、作者の野田サトル氏は早くも次回作の準備をしているという。それは、“10年前に打ち切られた”連載デビュー作『スピナマラダ!』の完全版だ。 同作は2011年〜2012年に連載していたアイスホッケーに挑む高校生たちの物語。野田氏は過去インタビューにおいて「絶対にうまくいくと信じていたが、反応が全くなくて落ち込んだ」と述べている(2017年1月8日・朝日新聞デジタル)。 一度完結した作品をイチから描きなおすことは出版業界の中でも珍しい事例だ。一体どのような理由で“再創生”に至ったのか。野田氏へのインタビューと担当編集の大熊八甲氏への取材を

    『ゴールデンカムイ』作者が“打ち切りマンガ”を描きなおす理由【野田サトル氏インタビュー】
  • ささきいさお、水木一郎さんを追悼「私よりずっと若いのに、早すぎるよ」 アニソン界をともにけん引

    【写真】その他の写真を見る 水木さんは「マジンガーZ」をはじめ多数の名曲を発表。ささきも「宇宙戦艦ヤマト」などを歌い、堀江美都子、大杉久美子とともに「アニメソング四天王」として一時代を築いた。 水木さんとささきは、カラオケが入った音楽テープを持参し、それぞれ各地営業、キャンペーンをまわっていた時代があった。 ■ささきいさお コメント全文 「追悼 水木一郎君へ」 私よりずっと若いのに、早すぎるよ。 第一次アニメブームの頃「カラオケ一、鞄に入れて…」 東京駅の前の芝生に寝そべりながら、二人で歌ったのが昨日のように思い出される…。 あれから何十年、最近の君は、まるで死に急ぐように仕事を続けていた。 「休んだ方が良いよ」と声を掛ける間もなかった。 もう、苦しんで歌うことも、見栄を張ることも必要ない。 ゆっくりと、のびのびと休んで下さい。 ご冥福をお祈りいたします。 ささきいさお

    ささきいさお、水木一郎さんを追悼「私よりずっと若いのに、早すぎるよ」 アニソン界をともにけん引
  • 訃報 | 水木一郎オフィシャルサイト - Ichiro Mizuki Official Website

    訃 報 弊社所属の歌手・水木一郎が令和4年12月6日 午後6時50分、肺がんのため永眠いたしました。 ここにみなさまからの生前のご厚誼に深謝し、心から哀悼の意を表しますとともに、謹んでご報告申し上げます。 昭和23年1月7日生まれ 享年74 昨年4月末に肺がんが発覚し、入退院を繰り返しながら放射線治療や薬物療法を行い、1年7か月あまり闘病生活を続けておりましたが、去る12月6日に救急搬送先の病院にて息を引き取りました。 脳転移、リンパ節転移、髄膜播種を伴う厳しい病状ではありましたが、「生涯現役」を目標に、治療とリハビリに励み、活動を続けてきました。 思うようなパフォーマンスができなくなってもその強い意志は変わらず、最後のステージとなった11月27日のライブでも満面の笑みを浮かべておりました。 これまで支えてくださったみなさまに厚く御礼申し上げます。 通夜並びに葬儀につきましては、ご遺族の意

    訃報 | 水木一郎オフィシャルサイト - Ichiro Mizuki Official Website