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ブックマーク / blogs.itmedia.co.jp/akihito (4)

  • エイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山噴火で、マドリッドに1週間足止めされていた件:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    「知らないのか?アイスランドで火山(volcano)が噴火したんだ!」――まさか"volcano"なんて単語を、日常会話で使う日が来るとは夢にも思いませんでした。それも最悪の状況で。 Twitter等でお知らせしていましたので、既にご存知の方も多いと思いますが、今月9日から家族で欧州を訪れていました。当初の帰国予定は18日の日曜日。しかし表題にある通り、アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル氷河で火山噴火があった影響により、欧州の空港が広い範囲にわたって閉鎖されるという事態に。おかげで僕らもマドリッドで足止めをくらい、1週間も帰国が延びることとなってしまいました。こんな状況、めったに起きるものではありませんが、何かの参考になることを信じて顛末をまとめておきたいと思います。 帰国便のキャンセル 最初に手配していた帰国便は、KLMオランダ航空でマドリッド>アムステルダム>成田と移動するもの。

    エイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山噴火で、マドリッドに1週間足止めされていた件:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
    orihime-akami
    orihime-akami 2010/10/01
    国民を助けない大使館なんて存在しないほうがマシだ。……日本大使館って中国共産党の出先機関で、助けるのは中国政府でしたっけ。そういえば瀋陽でそんな事件が起きたような。東大といい、中国政府の浸透がorz
  • 「リンク・イズ・マネー」は、もはやネット上だけのルールではない。:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    会社を病欠している日にネットに書込みをしたことが原因で、一方的に解雇される――こんな話がネットを賑わせています。その会社の経営者が、ブログ上で解雇のことを「(社員を)ひねり潰す」などと表現したこともあり、逆に経営者の方が炎上する騒ぎに(彼にはこのをお薦めしておきましょう)。しかし年配の方々の中には、以下のように感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか: その経営者の判断はともかく、なんで若い連中は、プライベートをネットで晒すんだ?病欠してるなら大人しくして、ネットを控えていればいいのに。 この疑問について、僕なりの考えを述べてみたいと思います。 上記のような事件が起きると、よく識者などと呼ばれる人々が 若者はネットの怖さを認識していない。彼らは自分たちの行動がバレないと勘違いしているのだ。 とコメントしているのを目にします。確かに若者には、何らかの知識の欠如があるのかもしれません。しか

    「リンク・イズ・マネー」は、もはやネット上だけのルールではない。:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
    orihime-akami
    orihime-akami 2009/06/19
    ネットの怖さが分かっていないのは、むしろお年寄り側ではないかな。ネットは「既存の論理から見たら」怖いものだし、一方新しい論理から見たら「ネットのない社会」が逆向きに怖い。
  • マスコミに残された存在価値:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    他人の迷惑も顧みず、深夜に電話をかけてくるマスコミは何かおかしくないか――という記事を読んで、僕は若干違った印象を受けました: ■ 【正論】慶応大学教授・阿川尚之 「マスコミの常識」は非常識 (MSN産経ニュース) もちろん「情報を伝えるためにはマスコミは何をしても良い」というつもりはありません。2ページ目で指摘されている「居丈高な物言いをする」「無責任かつ根拠のないコメントをする」というのも、最近のマスコミで目につく問題点です。総論で賛成なのですが、次の箇所については、状況は変わりつつあるのではと感じました: 速く伝えなくても、価値の減じない情報もある。相手かまわず夜中にたたき起こし取材して、一刻も早く伝えねばならない情報がどれだけあるのか。速報性を言うなら、新聞はネットやテレビに負ける。それでも人が新聞を買って読むのは、より正確で深い分析を求めるからだろう。 速報性という部分で、新聞は

    マスコミに残された存在価値:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
    orihime-akami
    orihime-akami 2009/06/19
    マスコミの多くの部分はマスゴミだが、だからといってマスコミは無価値ではない。マスコミにはがんばってほしいな。
  • マナー違反と言う前に:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ

    昨日、6月29日(日)付けの朝日新聞「天声人語」欄に、ちょっと引っかかる内容がありました。クラシックコンサートにおける、いわゆる「フライング拍手」の問題についてです: 演奏後の拍手はときに、クラシックコンサートの味わいを左右する。まだ音が残っているのに手を打ったり、掛け声を飛ばしたり。これをされると余韻は消し飛ぶ。以前から言われているのに、この手の「フライング拍手」は相変わらず多いようだ。 (中略) 最後の音が消えたあとの静寂は演奏の一部なのだろう。「徐々に、次第に夜が明けていくように始まる拍手は感動的」だと、オーボエ奏者の茂木大輔さんは近著の『拍手のルール』で言う。そして、静寂を壊すフライングには「傍若無人」と手きびしい。 という引用があり、最後には「マナーを心がけよう」という呼びかけで終わります。 確かにクラシック音楽のコンサートでは、(少なくとも現代において主流になっているのは)演奏

    マナー違反と言う前に:シロクマ日報:オルタナティブ・ブログ
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