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2013年12月22日のブックマーク (2件)

  • 新聞は時代遅れで、インターネットは最先端なの? - ぐるりみち。

    インターネットの普及によって訪れたのは、誰もが情報を受信・発信できる時代。情報の受け手と送り手の境界は曖昧になり、「情報」の価値は今もなお変化しつつある。それによって、テレビや新聞といったこれまでのマスメディアは衰退した──と言われている。 しかしそれらオールドメディアと呼ばれる媒体は、はたして当に「時代遅れ」なのだろうか。全盛期と比べれば、視聴率や売上は確かにたしかに低迷している。とはいえ、それでもなお多くの人の生活の一部としての役割を果たしているテレビや新聞が消えていくだけのものとは、どうしても思えない。 スポンサーリンク 「時代遅れ」の意味するところ 先日、次のような記事を読んでいて、ちょっとした違和感を覚えた(※現在、元記事は削除されています)。 ニュースサイト「ザ・ハフィントン・ポスト」日版を運営する会社の最高経営責任者(CEO)でもある小野さんは「世界で流通する膨大な情報量

    新聞は時代遅れで、インターネットは最先端なの? - ぐるりみち。
    ornith
    ornith 2013/12/22
    情報伝達媒体としての、新聞とネット。そして、ユーザーまたは読者である僕らについて、思ったこと。
  • 「本当の自分を知って欲しい」って何。 - 隠れ家日記

    2013-12-22 「当の自分を知って欲しい」って何。 たまに「当の自分を知って欲しい」とか見るんですけど、あれって何なんですかね。いや、まぁ自己顕示欲でブログ書いてるおいらとしては、全く理解できないわけではないんですけど。少なくとも「自分を見せたい」とは思ってるからこそ、そんなにウケてもいないのに毎日飽きずに文章を書いてるわけで。  ただ、「当の自分を知って欲しい」という表現になると少しわからない。多分、おいらも昔似たようなことを感じてたとは思うんだけど、通り過ぎてしまった今となってはそれを感覚として思い出せないし、あるいは当時の言葉でももう少し違った表現になったような気がしてしまう。何だろうこの違和感。 そもそも「当の自分」って何なんですかね。って書くと途端に陳腐というかありふれたというか、そんな感じがしてくるので早速困っちゃってるんですけど。  わざわざ「自分」の前に「

    ornith
    ornith 2013/12/22
    この「本当の自分」って、様々なパターンが考えられるから、また複雑。理想の自分、過去の自分を「本当」とするか、逆に理想を演じるのに疲れて、「本当」を見失っているか。いずれにせよ、その解離が辛いんだ。