ブローティガンの小説を読みながらそのまま眠くなって寝たら、夢でブローティガンの文体風(正確には藤本和子の翻訳した~)に文章が流れてきた。目が覚めてからもしばらくブローティガンの文体風に考えていた。 こういうことってよくある。町田康読んでる時は町田康の文体っぽい文章が頭の中に出てくるし、滝口悠生読むと滝口文体、上田岳弘読むと上田文体、って感じで、小説を読む度に小説の文章につられてしまう。読んでからしばらく経つと元に戻るんだけど、そうではない、例えば読んだ直後にブログを書こうとすると、露骨にさっきまで読んでいた小説の影響が出る。そういうのが、実はけっこう好きだ。僕は自分の文体にそんなに自信がない。下手くそだなあと思うことばかりである。けれども他人の、しかも市場である程度の評価を獲得している小説ならば、世間的に素晴らしい(少なくとも自分よりはるかに素晴らしい)ものである保証が付いているわけだから