タグ

ブックマーク / jkjg.hatenablog.com (3)

  • 文体に影響される/されない - なにもしらない

    ブローティガンの小説を読みながらそのまま眠くなって寝たら、夢でブローティガンの文体風(正確には藤和子の翻訳した~)に文章が流れてきた。目が覚めてからもしばらくブローティガンの文体風に考えていた。 こういうことってよくある。町田康読んでる時は町田康の文体っぽい文章が頭の中に出てくるし、滝口悠生読むと滝口文体、上田岳弘読むと上田文体、って感じで、小説を読む度に小説の文章につられてしまう。読んでからしばらく経つと元に戻るんだけど、そうではない、例えば読んだ直後にブログを書こうとすると、露骨にさっきまで読んでいた小説の影響が出る。そういうのが、実はけっこう好きだ。僕は自分の文体にそんなに自信がない。下手くそだなあと思うことばかりである。けれども他人の、しかも市場である程度の評価を獲得している小説ならば、世間的に素晴らしい(少なくとも自分よりはるかに素晴らしい)ものである保証が付いているわけだから

    文体に影響される/されない - なにもしらない
    ornith
    ornith 2015/03/24
    文体も含めて、直前に読んでいた/見ていた作品には影響されがちだなー。攻撃的な文章を読めば自分の論調も強めになるし、詩的な作品に触れた後はポエミーな気分になる。
  • 文章(文体)を楽しむ - なにもしらない

    小説というのは最終的にはその人の文章(文体)が好きなのか嫌いなのかというのがすごく大事になってくるジャンルだと思う。山ほど小説を読んでいると、ストーリーがいかにつまらなかったとしても、文章さえ面白ければ好きになれるところまで到達してしまうのでは。みたいなことを書くと、意識高い(笑)とか言ってバカにされたりもしそうなんだけれど、なんだろう、もうストーリーなんかどうでも良くなる瞬間って絶対あると思うんだよね。 例えば僕は太宰治って小説家が大好きなのだけれど、そん中にまあ(ストーリーとしては)しょうもない短編があって、確かなんたら歌留多とか言って、太宰治があいうえお作文みたいにひたすらだらだらと文章を書いていくっていう、ストーリーなんてあってないような、しょうもない短編なんだけれど、でもなんか好きなんだよね。それはストーリーというよりかは、その人の文章の綴り方とか、その人がどういう人なのかってい

    文章(文体)を楽しむ - なにもしらない
    ornith
    ornith 2014/12/03
    この話、ものすごい共感できるなー。特にはてなブログに関しては、購読者ボタンを押すときの基準になっているのは「情報」よりも「文章≒人」な気がする。
  • 後のこと考えてない - なにもしらない

    自殺防止のキャッチコピー見てて思うんですけど「家族や友達を悲しませないで」系が多くてあほらしいなあって。死ぬときぐらいもっと自分のこと考えさせてくれてもいいのに。「もう一度べたい味はありませんか」とか「もう一度嗅ぎたい季節はありませんか」とか、そういうののほうが自殺減りそう。— ミツビシ (@mitsubisi) 2014, 4月 19 この「家族や友達を悲しませないで」の何が問題なのかといえば、後のことを全然考えていないことだと思う。 死のうとしている人が、このコピーを見てなんと思うかといえば、それは「人に迷惑をかけないために死なない」であって、「積極的に生きよう」ではない。これを読んで自殺をやめた後どうなるか、心臓は動いているが、脳みそも動いているが、こころは動いていない、と、死んではいないが生きてもいない、そういう状況に陥ることしか僕は想像できない。例えて言うなら、家族や友達を人質

    後のこと考えてない - なにもしらない
    ornith
    ornith 2014/09/11
    この話に限ったことじゃないけど、人を説得する時、やたらと「他人」を引き合いに出すような場合がちらほらと。
  • 1