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世間と文化に関するorticaのブックマーク (2)

  • 人間はコンテンツでしかない―聴衆化する僕らと旧メディア化するネット - なかよしインターネッツ

    悪いけど今回はなかよしできない。いい加減堪忍袋の緒が切れた。 「人間はコンテンツじゃない!」と叫ぶのは、結局の所「人間は歯車じゃない!」と叫んでいるのと同じだ。 程度の低い感情論でしかない。 いいか、もう一度言う。 人間はコンテンツでしかない。 コミュニケーションによってコンテンツ力が高まる おまえが何かのコンテンツに対して言及したとしよう。その時点で既にお前の発言も「そのコンテンツと同化」する。これがお前がコンテンツである大きな理由の一つだ。 俺たちがコンテンツに対して発言をしたり話題にしたりすればするほど、そのコンテンツがもつ温度は高まっていく。 ソーシャルネットワーク化したネット上では、自分でコメントを考えなくてもボタンひとつで「シャアします!」できるしな。さらに自分の友だちがそのコンテンツに対して言及してたら効果は二倍だ。気になるアイツが言ってるのって、ついついクリックしちまうしな

    人間はコンテンツでしかない―聴衆化する僕らと旧メディア化するネット - なかよしインターネッツ
    ortica
    ortica 2012/05/26
    [h:keyword:コンテンツ]
  • 帝国の中心で自由主義を夢見る先に - 雑種路線でいこう

    残念なことに日社会では理知的でフラットな議論は相手を選ばないとできない。そしてブログは公開する相手を選べない。Webがそういう同調圧力を飛び越えて個を確立するツールとなることを期待してはいるが、今のところ日語圏ではネット上に別の世間をつくって新たな同調圧力を増幅させているかにみえる。 例えば日語のブログで或る予算の使い途について課題を整理しつつ建設的な提案をしても「このエントリーを財務省が読んだら仕込んでいる政策玉に予算が下りない」とか勝手に慌てて国会議員に報告がいき、取引先のお偉方から勤務先の役員に「こんなことを書く社員を放置していると、御社はこの案件から外されますよ」とか丁寧にご注進して下さる。それが日的ムラ社会の現実だ。 たまたま話の分かる役員なら「ちゃんと個人的な意見と断っているし、正しい当たり前のことしか書いてないじゃん」で済むとして、普通の日企業じゃ「正しいか否かの問

    帝国の中心で自由主義を夢見る先に - 雑種路線でいこう
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