がんで闘病生活を続けながら最後までヒロシマと向き合い、原爆の恐ろしさを訴え続けた中沢啓治さん。「『ゲン』はわたしの遺書」という言葉を残し、73年の人生を閉じた。 「原爆はお袋の骨まで持っていくのか」。母の火葬後、ほとんど残らなかった遺骨を目の当たりにして増幅した怒りが、原爆をテーマにした作品を描く原点になった。 1973年にスタートした「はだしのゲン」の連載。40年近くを経て、今年度から広島市の平和教育の教材に使われ始めた。今夏、朝日新聞のインタビューに応じ、中沢さんは「連載を始めた当時、漫画はばかにされ、社会的地位を得ていなかった。思いもよらず感慨深い」と語った。 自伝となる「はだしのゲン わたしの遺書」(朝日学生新聞社)を今月、出版したばかり。「わたしが伝えたいことは、すべてあの中にこめました」と結んだ。3・11後の原発事故にも触れ、「唯一の被爆国なのに、放射能のことが正しく理解されて