メモワール―写真家・古屋誠一との二〇年 [著]小林紀晴 小林紀晴は写真家であり、同時に抑制の利いた文章を書く作家である。その小林が取り憑(つ)かれるように写真家・古屋誠一を追った長い年月の記録、思索が本書だ。 最初は1991年。著者は古屋の写真展に出かけ、古屋が精神を病んでいく妻クリスティーネを撮り、“負のエネルギーが充満”した風景を撮り、ついには投身自殺直後の妻を撮った写真と出会う。 衝撃を受けた著者はその後、ニューヨークで同時多発テロに出会い、無性に現場を撮りたいと思う。しかし日本で体験した大震災では今度は撮ることを躊躇(ちゅうちょ)する。 なぜ撮るのか。撮っていいのか。なぜ発表するのか。発表していいのか。表現の根幹に潜む倫理、自意識、権利などの大問題を小林紀晴は背負い込む。なぜなら、古屋誠一が妻を撮った写真が、そして古屋が写真集に書き込む言葉が小林に思考を迫るから。 ソンタグの『他者