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国宝に関するorticaのブックマーク (2)

  • 平等院鳳凰堂は木瓦だった?瓦の大半は半世紀後 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    平等院鳳凰堂の屋根に使われていた平安後期の瓦。創建から約半世紀後に作られたとみられる(宇治市で)=川崎公太撮影 京都府宇治市の世界遺産・平等院鳳凰堂(国宝)の屋根に残る平安後期の瓦約1500枚のうち、約8割が創建(1053年)から約半世紀後に作られていたことがわかった。平等院では「創建時の鳳凰堂が瓦葺(ぶ)きでなかったことがほぼ確実になった」としている。 鳳凰堂の瓦は約5万枚あるが、後世の修理でほとんどが交換されている。昨年9月からの大修理で平安後期の瓦を調べたところ、創建と同じ時期に作られた瓦(南都系)が280枚だったのに対し、約半世紀新しい瓦(河内系)が1273枚に上ることが判明した。 鳳凰堂の周辺で過去に行われた発掘調査でも南都系の瓦の出土例は少ない。このため、創建時の鳳凰堂の屋根は木瓦で、約50年後の修理で瓦に葺き替えられたと考えられるという。 河内系の瓦は、今の大阪府八尾市にあっ

    ortica
    ortica 2013/02/17
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  • 正倉院正倉:天平より大正の瓦が腐食進む 再び新調へ- 毎日jp(毎日新聞)

    約100年ぶりの修理が進む奈良市の正倉院正倉(国宝、8世紀)の屋根瓦の下地について、宮内庁は11日、天平時代の瓦が多い東側と比較して、大正時代に瓦を新調した西側で腐が進んでいたと発表した。宮内庁は「大正時代の瓦の焼きが甘く、湿気がこもりやすいふき方をしていた」と分析しており、西側の瓦を再び新調するという。 宮内庁によると、瓦は約3万5400枚あり、このうち天平時代のものは865枚で、ほとんどが東側で使用されていた。西側は1913(大正2)年の解体修理で全面的に新調された。 今回の修理で、屋根瓦を全て取り外したところ、下地の木材の腐が西側で進んでいた。西側は瓦と瓦の隙間(すきま)がほとんどなく、瓦自体も焼きが不十分なため、水気を逃がしにくい「蒸れ腐れ」の状態になっていたとみられる。 正倉院正倉の修理方針を決める懇談会の座長、鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所所長は「大正時代は(修理の)業(わざ

    ortica
    ortica 2012/09/25
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