それがどれだけ印象的な事件であっても、卑劣な犯罪を時代の象徴のように扱うのは慎むべきだ。ともすれば、おれたちはオウム真理教が起こした事件を、流行歌のように懐かしく思い返してしまう。青春時代の映画のように、世代的体験として消費してしまう。おれだってそうした楽しさを知らないわけじゃない。「ああいえば上祐」という言葉を聞くたびに胸に込み上げる、このノスタルジー! けれども、そうして、我々が思慮なく彼らの名前を呼ぶたびに、彼らの名前は永遠に近づいていく。ある意味では、我々は彼らの犯罪に加担してしまっているのかもしれない。罪深いことだ。殺した人間のことばかり考えて、殺された人間のことを忘れる。罪深いことだ。おれにはそれがどのくらい悪いことかを説明することができそうもない。何だかんだいっても、おれたちは人を殺してしまったわけじゃないし。それでも、彼らの人殺しに少しでも心を楽しませてしまったのなら。地獄