ブックマーク / kaikai00.hatenablog.com (3)

  • 言いたかったことは - 今日行く審議会

    まず、何もかも常識、当たり前で覆い尽くしてしまう危険というエントリーに対して、直接またははてブの方に多くの方からコメントをいただき、とても感激しています。みなさん、ありがとうございます。いただいたコメントにきちんと個別にレスをすべきだと思うのですが、昨日のエントリーでは書ききれなかったものがあるのでそれも含めて改めて新しいエントリーを書くことにしました。 昨日のエントリーは、外部の人が内部のことについて批判したり、口を出すべきではないという主張をするために書いたのではありません。教員でなくとも教員に対して批判などを行うのは当然のことであり、それを否定するべきではないと考えています。では、なぜあのようなことを書いたのか。その理由を書いておこうと思います。 今、進められている教育改革、特に教員に関する改革は、教員の実情についてきちんと調査し、そこから問題を明らかにし、その問題を解決するための改

    言いたかったことは - 今日行く審議会
    oshamanbe
    oshamanbe 2006/09/21
    教員免許の更新制や不適格教員の認定制度は、現場にいる教員の資質を向上させるような仕組みになっていない。単にダメな教員を排除するだけの仕組み。
  • 教育格差と教育の公共性 - 今日行く審議会

    デイヴィッド・F・ラバリーは、「脱出不能‐公共財としての公教育」の中で次のように述べている。 教育における公益は、個々の消費者の私益の総体には還元できない。というのは、私益を追求する個人を全部集めても、誰も他人の子どもの教育を省みようとすることにはならないからである。学校システムが個々の消費者に私的財を提供するという圧力に晒されているなら、すなわち、よい仕事や社会的地位や快適な生活といった私的財の獲得競争において有利な立場に立つ機会を提供するといった圧力に晒されているなら、そのときは、教育の広範な公的便益が浸されることになろう。こうした消費者優先の学校システムは、教育経験を著しく階層化し、力のある消費者に対して、システムからの利益を勝ち取る機会を拡大することになるであろう。それは、教育システムを、勝者と敗者を作り出す選別・選抜メカニズムとしての性質の強いものにしていく。しかも、この場合、

    教育格差と教育の公共性 - 今日行く審議会
  • 塾要らずの公教育は本当に素晴らしいのか - 今日行く審議会

    塾要らずの公教育実現 谷垣氏、政権構想を具体化 子どもが塾に通わなくても済むよう公教育の質を充実させる 谷垣氏に限らず、よくこういうことが言われる。果たして、塾に通わなくて済む公教育当に素晴らしいものなのだろうか。塾に通える子と通えない子との間で格差が生じていると言われている。その格差を解消するためには公教育の質の向上が必要だと言われる。しかし、それはおかしい。 まず、塾と学校は全く同じ役割を担っているものではない。塾に通う目的は人それぞれだが、大まかに言って二つある。一つ目は受験の準備をすること。二つ目は学校の授業だけでは理解が十分ではないので、そこを補うこと。そういうものは、公教育の質が高ければ必要がないのか。それは違う。受験の準備にしても、理解できないところを補うにしても、「公立の学校とは異なる」からできることだ。公教育には様々な制約がある。そういう制約は塾にはない。その点だけで

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