2018年8月12日のブックマーク (3件)

  • 「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン

    今年4月、映画監督の高畑勲さんが亡くなった。プロデューサーとして支えてきたスタジオジブリの鈴木敏夫氏が語る高畑さんの記憶――それは決して美談ではなかった。(#1、#2より続く最終回) ◆ ◆ ◆ この作品はいつ完成し、世の中に出せるのか。僕としてはいっさい考えていませんでした。完成したときに公開すればいい。そう腹を括って、予算を含めた態勢を組んでいたんです。間に合う間に合わないですったもんだすることに、ほとほとうんざりしていたということもあるし、高畑さんに気のすむまでやってもらおうという気分もありました。結果的に8年の歳月をかけて、日映画史上最大の50億円もの予算を費やすことになるわけですが、僕としてはいっさい焦りを見せないようにしていました。 「かぐや姫」と「風立ちぬ」同時公開というアイデア それでも、完成の目処がついたと報告を受けたときは心が揺らぎました。というのも、西村が言ってきた

    「緊張の糸は、高畑さんが亡くなってもほどけない」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #3 | 文春オンライン
    osiripenpenski
    osiripenpenski 2018/08/12
    鈴木Pは高畑勲を伝説化することで過去の負債を回収しようとしてるのかな
  • 朝永振一郎教授の「思い出ばなし」

    (注)朝永振一郎氏(1906-1979)は京都大学の出身であるが、理化学研究所仁科研究室を経てライプチッヒ大学に留学(ハイゼンベルクに師事)、帰国後1941年に東京文理科大学の教授となられ、新制東京教育大学の発足に伴い1949年から1969年まで、東京教育大学理学部物理学科および光学研究所の教授を務められた。その間、1956年から1962年の2期6年間(1期4年間、再任2年間)にわたり、東京教育大学の学長を務められ、東京教育大学の発展のために尽力された。朝永氏が学長をされていた時代は後年教育大関係者によって「朝永時代」と呼ばれるようになり、東京教育大学がもっとも輝いていた時代、東京教育大学の黄金時代と見なされるようになった。教育大学新聞会は、学長退任直後の1962年、朝永教授に過去の「思い出ばなし」の連載企画を提案したが、教授はこれを快く引き受けられ、24回にわたって当「教育大学新聞」の紙

    osiripenpenski
    osiripenpenski 2018/08/12
    湯川秀樹に対して相当思うところありそうなのはよくわかった
  • 毎週のように作って分かった、ボロネーゼ等の挽肉系パスタを美味しく作る3つのコツ。 - 1年間育児休業を取得した30代前半男性の日記

    先日は苦手だったパスタを克服したお話をしました。結婚以来、が喜んでくれることもあり、私は毎週のようにパスタを作り、研鑽を積んでおります。 www.tonymctony.com 当初は成功したり失敗したり、ギャンブル的要素が強かったのですが、結婚3年目を迎え、なんとなく「上手に作るコツ」が分かってきたので、日はそのお話をしようと思います。 3つのコツ 国産にんにくを使う オリーブオイルはたっぷりと 挽肉はパラパラにしない 補足:メイラード反応について まとめ 3つのコツ 上手に作ろうとすれば、コツは3つでは済まないのでしょうし、美味しく作るコツと言うのは皆様お持ちだと思います。なので、それにプラスしてさらに美味しくできるようなもの3つに絞りました。 どんなパスタを作る時でも重要な点2つと、ボロネーゼやミートソースのような、「挽肉系のパスタ」を作る際の最重要ポイントを合わせ、3つのコツとし

    毎週のように作って分かった、ボロネーゼ等の挽肉系パスタを美味しく作る3つのコツ。 - 1年間育児休業を取得した30代前半男性の日記
    osiripenpenski
    osiripenpenski 2018/08/12
    挽き肉わかる。俺はハンバーグ作るくらいのつもりで焼き固めてから崩してる。