ホーム レビュー・インプレ 『巨影都市』レビュー。なぜ「にせウルトラマン」なのか、フルプライスタイトルで真摯に成し遂げられた“正気ではないセンス” 家庭用ゲームの始祖を数年前に逝去したラルフ・ベア氏の「オデッセイ」とするならば、その試作機である「ブラウンボックス」の完成は1969年のことになる。それからもうじき半世紀が経ち、世界的に見れば家庭用ビデオゲームの市場は膨張を続けているといっていい。技術的革新も進み、リアル志向は留まることなく、感覚そのものに訴えかけてくるハイクオリティでフォトリアリティに溢れた作品が日々世に送り出されている。一方で、その体験を生み出すための費用もまた半世紀前とは次元が違っている。『Grand Theft Auto V』の約260億円はその代表格といえるが、そこまで天文学的な数字を引き合いに出さなくても、開発費が数十億円かかっているゲームはもう珍しくない。ちなみに
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