(少々無謀でも、単純この上ない話) 私たちの視覚は他の感覚より長けている。だから、人は視覚的な動物だと言われてきた。まず強調せねばならないのは、知覚は一朝一夕に可能になるのではなく、生まれて以来長年の学習によって(正常に)見ることができるようになるのである。私たちは視覚の学習訓練の結果、見たものを記憶し、言葉の助けを借りながら、表象し、意識し、想起することができるようになる。そして、その能力が人を人たらしめてきたのである。 ところで、知覚と思考は共通部分をもちながらも、はっきり違っている。ここで、私が主張したいことは「私たちは自己同一性をもつものしか知覚できないが、表象や思考においては自己同一性をもたないものをイメージし、考え、扱うことができる」ということである。普通なら、自己同一性をもつことは思考レベルで認識され、知覚レベルには登場しないと考えられるのであるが、それとは逆の主張である。