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ブックマーク / www.japanserve.com (1)

  • 幕末トラベラーズ

    生麦事件とは、乗馬中のイギリス人4名が薩摩藩の島津久光の行列を妨害したとして、薩摩藩士たちに殺傷された事件。 襲われたイギリス人たちは、神奈川方面に逃げたが、チャールズ・リチャードソンが途中で死亡、その他2名のイギリス人が負傷した。この事件の報復として、翌年イギリスは軍艦を派遣し鹿児島を砲撃した(薩英戦争)。 島津久光は、一度も藩主になったことはない。しかし藩主の実父として薩摩藩の最高権力の座にあり、幕末にあって薩摩藩の影響力を強めるため、何度も上京している(文久2年4月、文久3年3月、文久3年10月、慶応3年4月の4度)。 その最初の上京が文久2年(1862年)4月(3月に鹿児島出発)で、兵を率いて京都にのぼり、さらに朝廷の勅使・大原重徳(おおはらしげとみ)に随従する形でそのまま江戸に下り、幕政改革を要求した。 この上京の途中、伏見において久光は、有馬新七ら自藩の尊攘過激派を、自らの政治

    otori334
    otori334 2020/05/29
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