平和公園の資料館の入口にあたる建物の北に、原爆の熱線で焼け落ちながら、現在まで生き続けているあおぎりの木があります。 爆心地から約1.5km、白島にあった当時の逓信局(現在の中国郵政局)の庭に、3本のあおぎりが植えられていました。あおぎりは原爆の熱線を受けて爆心地側の幹が、半分焼けてしまいました。当時は、広島には70年以上草木が生えないと言われていて、あおぎりもそのまま枯れてしまうと思われていました。しかし、その翌年の春に、幹が半分になった3本のあおぎりから、3本とも新芽が出ました。 わたしは、原爆で足を失った女性の方から、生きる希望を失った中で、焼け焦げたあおぎりから芽がでているのを見た時に、自分もこのあおぎりのように生きようと力を貰った、というお話をお聞きしました。こんなふうに、原爆の怪我や後遺症で苦しんでいた人々に、大きな力と生きる希望を与えたのが、このあおぎりです。 3本のあおぎり