エロカルチャー 2011年11月07日 与謝野鉄幹(1873~1935)とその妻・晶子(1878~1942)といえば、明治期歌壇の革新派としてあまりに有名だが、その奔放さは自らの性生活にも現れている。 まず鉄幹だが、僧侶の父と商家出身の母によって幼少時から漢籍や国書について教育を受け、12歳で専門雑誌に自作の漢詩を投稿するほどだった。17歳の時、2番目の兄が経営する女学校に国語・漢文の教師として赴任する。 ところが、この教師時代に自分の教え子である女生徒・浅田信子と性的関係となり、信子は妊娠し出産するが生まれた子供はほどなく死亡。すると、さらに別の女子生徒、後に夫人となる林滝野と関係を持ち同棲生活を送る。この時、鉄幹は未成年だった。 20歳の時、4年続けた教師を辞めて上京。歌人・落合直文の門下生となり、本格的に文学活動を開始する。 さて、鉄幹は最初に関係を持った浅田信子とまず結婚するものの