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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (19)

  • 自分の命を人質にして相手を脅迫する人たち - yuhka-unoの日記

    能町氏、雨宮氏、抗議を行う - Togetterまとめ 能町みね子・雨宮まみによる北条かやへの抗議 - Togetterまとめ 北条かや氏の、取材・調査上の倫理違反や、著作者としての不誠実さ・責任感のなさについて、能町みね子氏や雨宮まみ氏など、複数の人たちが、何が悪かったのか懇切丁寧に抗議しているにもかかわらず、北条かや氏から出て来る言葉は、「嫌われて悲しい」「悔しい」「死んでお詫び」といった言葉ばかり。これを読んで、私は、小保方晴子の件と、「自虐おわび」という言葉と、かつて自分が遭遇した、自分の命を人質にして相手を脅迫する人のことを思い出した。私は、その一件以来、この手の人に対しては、「ああ、こいつの要求を叶えてやる必要なんてないわ」と思ってしまうようになった。 自分の命を人質に相手を脅迫するタイプの人は、虐待、DV、ストーカー等の、対人依存傾向が強い人たちに多い。「別れるって言うのなら

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    otsune 2016/04/02
  • 続・「ダサピンク現象」について―だから、「ピンクが嫌い」って話じゃなくてさぁ… - yuhka-unoの日記

    前回記事『残念な女性向け商品が作られてしまう「ダサピンク現象」について』を書いたところ、思いの外反響があって驚いた反面、私の言ってることを誤解している人もチラホラいるようなので、続きを書いておく。 そう?元記事の人からはピンクに対して憎しみすら感じたけど おっさんが勝手に決めてるだけで女性はピンクなんて好きじゃないくらいの勢い 実際は女性が好むから用意してるってことを主張したかった、嫌がらせで出してるわけじゃなくてマーケティングもした結果なんだと http://anond.hatelabo.jp/20141124040100 この人に限らず、チラホラこういう捉え方をしている人がいたけど、あの内容でなんで私がピンクを憎んでるっていう話になるんだろう… 「『ピンク=ダサい』という意味ではない」「肝心のデザインがダサいから」「ピンクで可愛くてフェミニンなものを好む層は一定数いる」「でもそういう人

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    otsune 2014/12/06
  • 「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というイメージ - yuhka-unoの日記

    デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 1979年生まれのデジタル原人の話も聞いていっておくれよ | LUNATIC PROPHET 89年生まれの人と、79年生まれの人の、インターネットとの関わりについて書かれた記事。この二つの記事が書かれた当時は、自分の世代とインターネットとの関わりについて話す人が沢山出てきて、なかなか面白かった。 それらの話を読んでいて思ったことは、若者は年長者世代から「デジタルネイティブ世代」と言われているけど、実際はそうでもないということだった。上の89年生まれの人は、親御さんのPCをバレないようにこっそり使っていたそうだけど、私の親なんて、全くネットにコミットしない人だったので、私がインターネットに触れたのは、学業を終えて自分で稼ぐようになってからだった。だから、けっこうネットにコミットするのは遅かったのだ。 ネット普及初期の頃にネットにコミッ

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    otsune 2013/05/20
  • 「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実 - yuhka-unoの日記

    NHKスペシャル「仕事と子育て 女のサバイバル 2013」という番組の中で、宇野常寛氏が「核家族でこどもを育てるなんて無理ゲー。超裏ワザとか使わないと攻略不可能。それを今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた」と発言していて、「そうそう!」と思った。 よく少子化の原因について、「女性の社会進出が進んで、選択肢が増えたから」という言い方がなされることが多いけど、それはちょっとどうなんだと思う。実際は、「今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた」からなんだよね。 例えば、今までは奴隷制によって社会システムを維持してきたのが、それがうまくいかなくなったからって、「奴隷が解放されたことによって、社会の生産性が低下したんだ」と言うのは、それはあまりにも元奴隷層に対してデリカシーがないんじゃ

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    otsune 2013/05/20
  • 同調圧力と世代間コミュニケーション - yuhka-unoの日記

    どうする?40代からのファッション&生き方 「年齢差による居心地の悪さ」って何だ? 周囲との年齢差を意識する(特に若い人との)ということは、 その場における自分の異質さを意識する、 ということなのです。 「おばちゃん」たちがあちこちで賑やかなのも、 常日ごろ、他世代(特に若い世代)との間に 自分の「異質性」を感じて居心地が悪いから、 同世代・同性で集まると思いきり弾けてしまうのかもしれない。 女子高生みたいに。 同世代のおっさんたちが遠い - 24時間残念営業 ま、いずれにせよ同世代のおっさんとはノリがあわないわけなんだが、そうすっと外見や年齢としゃべってることのミスマッチってのが発生する。店のなかにいるときはいい。俺は「そういう人間」ということで通用してるわけだから。でも外に出るとそうはいかない。つまり、会議で俺と似たような年代のおっさんが集まってる場所だ。 実はこういう「ミスマッチ」に

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    otsune 2013/01/12
  • 「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記

    少年アヤちゃん @omansiru のピル(OC)に関するつぶやきと反響 - Togetter 「ベビーカーで電車の乗るな」という傲慢さ!それなら他人が産んだ子に将来の年金や社会福祉の負担を押しつけるな  | 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス どちらの記事についても、「言い方が悪い」「書き方が不快」「憎悪に満ちている」などのブコメがついているが、ああこれは典型的な差別あるあるだな、と思った。まずそもそも、マジョリティのマイノリティに対する抑圧があるせいで、マイノリティが不快な思いをさせられたり苦痛に耐えたりしてきて、マジョリティに対する「配慮」を強いられ続けてきたにも関わらず、そこをすっ飛ばして、「俺らを悪く言う被害を感じる」とは、典型的な差別あるあるだ。こういった差別あるある的態度を取る人は、これまで自分たちがマイノリティにしてきたことを丸ごと無視して、今現在、

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    otsune 2012/11/19
  • 学校という殺人隠蔽組織と、カルト集団との共通点 - yuhka-unoの日記

    【学校が人を怪物にさせる】大津いじめ自殺事件についての内藤朝雄さんのコメント - Togetter いじめ自殺を隠蔽しようとする学校組織や教育委員会は、外部から見ると、ものすごく非常識で、なぜわざわざ不名誉なことを重ねるんだと思うわけだが、腐敗した組織というのは、外部からの視線より内輪からの視線のほうが恐怖になっている。隠蔽が行われる組織は、日の中に、小さな独裁国家があるようなものだ。外部から何を言われようが、その国の国民として生き残っていくためには、内輪の不利益になるようなことはせず、その国の国民らしく振舞わなければならない。その集団に逆らって、自らの良心に基づいた行動を取るということは、集団からの私刑や、外部への亡命を覚悟でしなければならないことになる。内部の人間は、そもそも自分たちがおかしいのだという自覚が無いし、もし自覚があって良心を痛めている人がいたとしても、簡単に言える状況で

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    otsune 2012/07/17
  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

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    otsune 2012/06/11
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

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    otsune 2011/09/06
  • 善意が暴力に変わるとき―伊達直人騒動について― - yuhka-unoの日記

    Togetter - 「「伊藤直人」に違和感を感じてしまった元入所者のpostまとめ」 http://togetter.com/li/88205 実は、前回の記事『甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち』を書いたのは、昨今起こっている伊達直人関連の騒動があったからだ。親からの好意を受け取ることを強要されてきた私は、一連の伊達直人騒動にずっと違和感を抱いていた。上の元児童養護施設入所者の人の意見はもっともだと思う。 「人の善意に対して素直になれ」みたいなこと言ってる人がいるけど…「素直になれ」って、どういう意味なんだろう。私が父から趣味じゃない服を貰った時の素直な気持ちは「これ着たくない」だった。元入所者の人の意見も、実に素直な気持ちだと思う。でも、その素直な気持ちを言ったら「素直じゃない」「素直になれ」と言われる。「素直になれ」ってどういう意味だ?もし「いらない」「欲しくない」

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    otsune 2011/09/06
  • 甘やかされているようで全然甘えられていない子供たち - yuhka-unoの日記

    子供に与えなさすぎる親というのが、子供にとって快適ではないということは、多くの人が納得するところだろう。ネグレクト(育児放棄)というやつである。しかし、子供に与えすぎる親というのもまた、子供にとって快適ではないケースが多いというのは、あまり知られていないことだ。「過保護なのは確かに子供の成長にはマイナスだが、当の子供にとっては快適なこと。親元にいるのがあまりにも快適すぎて、そこから抜け出せなくなるから、自立心が養われない」―そのように考える人が多い。 しかし、与えすぎる人というのは、ありがた迷惑なことが多いのだ。例えば、こちらが「いえ、もう結構です。もう満腹なんです」と言っても、「そんなこと言わずに、ほらほら」と、どんどんべ物や飲み物を勧めて来る人。こういう人は、こちらがやんわりと断っているうちは進めるのをやめてくれず、とうとう強い口調でぴしゃりと断らなければならない段階になってやっとや

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    otsune 2011/09/06
  • 群がる「親」という名の感謝乞食たち - yuhka-unoの日記

    きゃあー、燃え上がってもうたわ http://anond.hatelabo.jp/20110904145941 あれ、何か増田で場外乱闘状態になってる(笑)。まぁ、私が前回記事『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』のコメント欄で書いた >あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。 これは母の功績ではなく、私が自分で努力した結果で、私の功績ですので。 この部分がお気に召さない人がかなりいたってことだよね。これについては、私が以前書いた『「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感』の中に、私の気持ちが書いてある。 冗談じゃない。加害者がやったことはただのいじめだ。そこを乗り越えて立ち上がったのは被害者の功績である。こともあろうに加害者は、この言説によって、厚かましくも他人の功績を横取りしようとする。加害者ばかりでなく第三者が、「その人のおかげで今

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    otsune 2011/09/06
  • 「見ていない」ものは「ない」ものではないということ - yuhka-unoの日記

    いじめについて話すとき、ある年代以上の人は、こんなことを言う人がいる。「最近はひどいいじめが多い。私たちの頃だってちょっとしたいじめくらいはあったけど、あそこまでひどいいじめはなかった。」 こういう言い方をする人が比べているのは、実際のところ、「過去」と「現在」ではなく、「自分の身の回りの実感」と「ニュースに取り上げられるような悪質な事例」である。自分の身の回りの実感ならば、今現在学生をやっている人たちだって、悪質な事例なんて見聞きしていない人がほとんどだろう。 要するに、「私たちの頃は、あそこまでひどいいじめはなかった。」と言う人は、幸運にも自分の身の回りで悪質な事例に遭遇しなかっただけに過ぎない。 私たちは日常生活を送る上で、ほどんどの場合、悪質ないじめを「見ていない」し、児童虐待を「見ていない」し、性暴力を「見ていない」。しかし、それらは「ない」わけではない。 私たちは、近所の家庭が

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    otsune 2011/09/06
  • ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記

    .@nucco 例えば、子どもが、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んでいると安心するけれど、DSの画面を見つめてひたすら黙っているという場面を見ると、なんか不安になるというのは、見守る側の大人の素朴な感情としては、どうしてもあると思うんですよ。そこをどうしたらいいんだろう、というか。 http://heis.blog101.fc2.com/blog-entry-216.html たぶん、このDSで遊んでいる子供に対する不安感というのは、一見して何をしているのかわからないという不安感なのだろう。缶蹴りや鬼ごっこなら、子供がどういうルールや世界観の下で、何を考えながら行動しているのかが一見してわかる。しかし、これがゲーム機だと、そういった世界観や思考というものは、画面の中と子供の脳内に存在しているものであり、一見して何をしているのかがわからない。もっとも、この手のゲーム機で遊んだ経験のある最近の親なら

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    otsune 2011/09/06
  • 頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること - yuhka-unoの日記

    「頭が良い人だと思われたい」という願望を強固に持った人ほど、頭の良さから遠ざかってしまうのではないかと思う。「良い親だと思われたい」という願望を強固に持った親ほど、良い親から遠ざかってしまうように。 なぜなら、こういう人は「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれやすく、自分の感情的な面を認められなくなるからだ。「良い親だと思われたい」人ほど、自分の悪い面を認められなくなるように。 「頭が良い人だと思われたい」という願望は、れっきとした感情なのだ。しかし、「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、この感情を自覚できなくなる。自分の感情的な面はなかったことになり、理屈の下にある自分の感情を掘り起こすより、辻褄を合わせるために正当化の屁理屈ばかりが上手くなってしまう。 「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」という価値観に取り付かれた人は、自分の感

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    otsune 2011/07/21
  • 「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感 - yuhka-unoの日記

    『他人からの励ましやアドバイス』にも少し書いたが、私は「辛い経験は糧になる」という言葉に違和感を感じる。 結局、トラウマにしかならない経験だってあるんじゃないのかと思うし、乗り越えられるかどうかは、人の努力ももちろんあるが、運の要素もある。周りの人の助けが得られる環境かそうでないかは大きい。 「辛い経験は糧になる」という言葉が広く世間で言われているのは、基的に、乗り越えられた人しか世間に出て来れないからなんだろう。私の中にも、乗り越えられた部分と乗り越えられていない部分があるが、乗り越えられた部分については、世間に向かって語れるけれど、乗り越えられていない部分については、なかなか世間に向かって語ることはできない。 世間から見えるのは、乗り越えた人だけ。結局トラウマにしかならなかった人は、世間からは見えないということだ。 それから、「辛い経験は糧になる」という言葉は、『元いじめられっ子の

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    otsune 2011/06/14
  • パターンではなく個人を見るということが、人格を尊重するということかもね - yuhka-unoの日記

    まさに「受け取り方は人それぞれ」で、「女性だから」と言ってひとくくりには出来ない。 「これが正しい女性への接し方です」などと言うものは存在しないのである。 もういっその事、男性は女性を相手にしない方が良いのかもしれない。そんな事すら思うがそうは行かない。 http://d.hatena.ne.jp/Paris713/20100526/p1 これを読んだ時の私の感想は、正直なところ「は?当たり前じゃね?」だった。 これは「女性」の部分が「男性」でも「日人」でも「若者」でも何でも当てはまることで、こんなことで「もういっその事、男性は女性を相手にしない方が良いのかもしれない。」とか言ってたら、女性どころか人間全員相手にしない方が良いということになってしまうのではなかろうか。 そもそも、人間関係の基は個人を見ることにある。何が嬉しくて何が嫌なのか、同じことでもどの程度傷付くのかということは、そ

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    otsune 2011/03/25
  • 数学劣等生だった私 - yuhka-unoの日記

    大学でアルファベットを教えて何が悪い - bluelines http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110219/1298093855 日の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。 (中略) これは学力低下の話ではない。高校卒業時点で小学校で学んだことが覚束ない学生なんて、これまでだって腐るほどいたんだ。そういう層にももう一度学び直せる機会が与えられるようになってきたということに過ぎない。これはどう考えても社会の成熟であり、今後の日には必ず必要になるシステムであり、その為のコストは老人の生涯学習なんかよ

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    otsune 2011/02/23
  • 他人に親切にして失敗するのが怖い日本人 - yuhka-unoの日記

    Togetter - 「蜷川実花さんのツイートからわかった日をまとめてみました」 http://togetter.com/li/52331 寝てる息子とバギーで出かけてたんだけど駅で階段しかなくて。15キロの息子だっこしてバギー持って階段。つーかそこのヒマそうな男子!手伝ってよ。なんでこんなに助けてくんないかなーーー??ちょっとびっくり。 上の記事のブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/52331 一般に、多くの日人は、相手や世間から完璧な正解を求められていると考え、失敗することは許されないと思い込む傾向があると言われている。こうした日人の心理は、一旦社会のレールから外れると復帰しにくいという、福祉問題の話として語られることが多いが、何も社会のレールに限った話ではなく、上の記事で挙げたような、赤ちゃんを抱いてベビーカーを持って

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    otsune 2010/09/27
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