(5月2日改稿) 大和田俊之よりさらに若い文化地理学者・森正人が書いた新書本も──内容的には大衆/高尚の二分法を脱却していながら──タイトルは『大衆音楽史』だった。 四半世紀前に中村とうようが書いた本のタイトルが、もし『大衆音楽の真実』でなくて『音楽の真実』だったら、どれほどエクストラな刺激を与えてくれたことだろう。 『アメリカ音楽史』、このタイトルがいい。音楽にそもそも「大衆」も「高尚」もない。というか、かつて嗜好の階層が存在した時代に「大衆」と呼ばれ、資本家によって操作されやすい「音楽的うすのろ」と思われていた人たちこそが、いま、真剣に論じるに足る音楽を進化させてきた。だからもう「差別」の表現としても「自尊」の表現としても、「大衆」という形容はやめよう。モーツァルトをふくめてもいい、僕らの心をさらってきた音楽のすべてを包括的に見ることこそが、文化ついてのまともな思考を可能にするのだ。