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平和と歴史に関するoyoyomのブックマーク (5)

  • 「9.11」より「9.15」の方が世界を変えた理由  JBpress(日本ビジネスプレス)

    米国は今月、2つの悲惨な記念日を迎える。「9.11」と「9.15」である。 ハイジャックされた航空機が世界貿易センタービルに突入して3000人近くの命を奪い、米国と世界の関係を変えてから10年近い歳月が流れた。一方、リーマン・ブラザーズの破綻が世界金融危機の引き金を引き、大恐慌再来の懸念を引き起こしてから2年経つ。 2つの出来事はニューヨーク・マンハッタンの数マイル圏内で起きた。いずれも世界を一変させた。だが、歴史書が書かれる時に、より重要な出来事に見えるのはどちらだろうか? 「一極支配の瞬間」に終わりを告げた金融危機 筆者の推測では、最終的により重大に見えるのは金融危機の方だ。これは奇妙な判断に思えるかもしれない。何しろ多くの米国人にとって、9.11は決定的に1つの時代の終わりを告げるものだった。ソ連崩壊から対米テロ攻撃までの10年間にわたるギャツビー流の華やかなりし時代が恐ろしい終焉を

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  • 「なぜもっと早く降伏できなかったのか」を議論しよう

    「なぜもっと早く降伏できなかったのか」を議論しよう
  • 今なお日米同盟に影を落とすヒロシマ  JBpress(日本ビジネスプレス)

    去る8月6日、焼け残った原爆ドームを背景に平和を象徴するハトが舞い、仏教寺院の鐘の音が厳かに響き渡った。広島の平和記念式典は常に痛々しく、かつ美しい儀式だが、今年は1人の参列者の姿により、人々の心が特に強く揺さぶられることになった。 参列者の名前はジョン・ルース。米国の駐日大使その人である。米国政府代表の参列は、65年前の原爆投下後初めてのことだ。 ある意味で、ルース大使を参列させたバラク・オバマ大統領の決断は素直なものだった。米国内で反発が生じる恐れはあったものの(一部からは、ルース氏が参列すれば謝罪していると誤解されかねないとの批判が出ていた)、広島はオバマ氏が支持している核兵器廃絶の強力なシンボルだ。 核なき世界の実現を訴える演説をチェコの首都プラハで昨年行って以来、広島市と長崎市は大統領の訪問を働きかけている。オバマ氏はまだこの招待に応じていない。 参列の背景にはもっと情緒的な動機

  • 戦艦「長門」が被弾、床には艦長の首が・・・ ある海軍中尉の太平洋戦争記 | JBpress (ジェイビープレス)

    今から65年前の1945年8月15日正午――。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世のために太平を開かんと欲す・・・」 ラジオから流れてきた天皇陛下の玉音放送を、松太助・海軍中尉は青森県・大湊の陸上輸送部隊で聴いていた。途切れ途切れでよく聞き取れず、「陛下が『堪え難きを堪え』とおっしゃるのだから、もっと頑張れということなのか・・・」と首をかしげた。 だが放送後、上官から「今の放送は終戦の詔書である」と教えられ、松中尉は「当に戦争が終わったのか? 自分は助かったのか?」と自問自答を繰り返した。既に兄と弟は戦死していた・・・ 軍国主義を叩き込まれ、商船学校から海軍士官に 松 太助氏(まつもと・たすけ) 1922年8月京都市出身 44年9月神戸高等商船学校卒、海軍少尉 11月空母「海鷹」 45年1月戦艦「長門」 5月駆逐艦「初桜」 6月海軍中尉 復員・石炭輸送業務を経て49年海上保安

    戦艦「長門」が被弾、床には艦長の首が・・・ ある海軍中尉の太平洋戦争記 | JBpress (ジェイビープレス)
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