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2014年2月17日のブックマーク (4件)

  • 企業の楽園としてのイメージを失うスイス 国民投票で移民規制を承認、企業や富に対する態度に変化か?:JBpress(日本ビジネスプレス)

    スイスほど企業を温かくもてなす国はあまりない。安定した法律や有利な税制が非常に魅力的なため、欧州の人口の1%強しか占めないスイスは、欧州大陸の4大企業のうち3つの企業の拠地になっている。 さらに、コモディティー(商品)取引大手のグレンコアや消費財メーカーのプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)など数々の大企業、また多くのヘッジファンドがスイスを欧州拠点としている。 そのうえ、柔軟な労働法と教育水準の高い人口を擁することを考えると、経済競争力の世界ランキングでスイスが大抵首位近くに位置するのは驚くには当たらない。 国民投票で相次ぎ企業に厳しい規則 それだけに、実業界のリーダーたちを戸惑わせるようなスイスの最近の決定はなおさら衝撃的だった。最も劇的だったのは、2月9日の出来事だ。スイス企業に深刻な打撃を与える可能性があるとの警告にもかかわらず、スイスはぎりぎりの過半数で欧州連合(EU)から

    企業の楽園としてのイメージを失うスイス 国民投票で移民規制を承認、企業や富に対する態度に変化か?:JBpress(日本ビジネスプレス)
  • 「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話:JBpress(日本ビジネスプレス)

    (英エコノミスト誌 2014年2月15日号) 1つの国の100年にわたる衰退は、各国政府に多くの教訓を示している。 1世紀前、国外初の出店を決めた英国の百貨店ハロッズは、その場所にアルゼンチンのブエノスアイレスを選んだ。1914年には、アルゼンチンは未来のある国として頭角を現していた。アルゼンチン経済はそれまで40年にわたり、米国を上回るペースで成長していた。国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、ドイツやフランス、イタリアを上回っていた。 アルゼンチンには、素晴らしく肥沃な農地、太陽の降り注ぐ気候、新たな民主主義(1912年に男性の普通選挙権が導入された)、教育を受けた国民、世界で最もエロチックなダンスがあった。移民が世界中からタンゴを踊るように流れ込んできた。野心を抱く若者にとって、アルゼンチンかカリフォルニアかを選ぶのは難しい決断だった。 アルゼンチンには今もまだ、パタゴニアの壮大な

    「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話:JBpress(日本ビジネスプレス)
  • タイのコメ買い取り政策で巨額損失 膨れ上がる農家への未払い金、損失覚悟でコメ備蓄売却:JBpress(日本ビジネスプレス)

    窮地に立たされたタイ政府が、国に大きな経済的、政治的ダメージを与えている助成制度の下で農家に未払いになっている40億ドル近い借りを清算するために膨大な量のコメを売ろうとしている。 国際相場が下落するなかで2月第3週、第4週にほぼ100万トンのコメを売却する政府計画は、2011年暮れに導入されてから年間100億ドル以上のコストがかかり、代金を払ってもらえない農家からの抗議を引き起こしたコメ買い取り政策の代償をいっそう膨らませる恐れがある。 タイ政府が直面するジレンマ インラック・チナワット首相が率いるタイ政権はコメ売却で損を出したくはないが、反政府運動に加わっている農家に未払いの代金を支払う必要がある。タイ開発研究所(TDRI)の栄誉フェロー、ニポン・ポアポンサクルン氏は言う。「これはすごいジレンマだ。政府はコメを売らなければならない。さもないと農家に払うカネがなく、票を失うことになるからだ

    タイのコメ買い取り政策で巨額損失 膨れ上がる農家への未払い金、損失覚悟でコメ備蓄売却:JBpress(日本ビジネスプレス)
  • 「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS

    社会運動、政党政治、普通選挙――民主主義的な言論や運動が活発に行われた「大正デモクラシー」。しかし、その後日戦争の時代へと突入してしまう。なぜ大正デモクラシーは戦争を止められなかったのか。歴史学者の成田龍一氏に話を伺った。電子マガジンα-Synodos vol.142より、一部を転載。(聞き手・構成/山菜々子) 「大正デモクラシー」とはなにか ―― 今回は、「大正デモクラシーはどうして戦争を止められなかったのか」というテーマでお話を伺えればとおもいます。まずは、「大正デモクラシー」はどのようなものだったのでしょうか。 まず、「大正デモクラシー」という言葉についてですが、これは同時代に使用された言葉でもなければ、歴史用語として定着しているわけではありません。論者によって「大正デモクラシー」といったときの時期や内容や評価が様々です。「大正」という元号と、「デモクラシー」というカタカナとが

    「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS