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  • 平和(ひらかず)さん、70歳の談話(しりあがり寿)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    こんにちは、平和(ひらかず)いいます。おかげさまでこの8月15日に70歳になります。人間だったら古希ですよ。いやー、世界中ほかにも友達たくさんおんねんけど皆戦争になっちゃいましてな、ここまで長生きしてるの珍しいですわ。 わしがここまで元気できたんは、応援してくださる皆さんや世界の国々のおかげや、ほんま感謝してます。運もあると思いますけどな(笑)。 せやけどな、さすがによる年波で最近いろいろガタがきましてん、医者に診てもろうたんですけどな。なにやら「アンポカンレンホーアン」ちゅう薬だされましてな。「こんなん出ました」って皆に相談しましたら「そら脱法のヤバイ薬や、飲んだら死ぬで」みたいに言われましてな。「じゃあどないしたらええねん?」て訊いたら何やらいまいちはっきりせん。まぁとにかくこの機会にどうしたらワシが長生きするかキッチリ話し合ってほしいですわ。 自分でいうのもなんですがワシは大切ですぜ

    平和(ひらかず)さん、70歳の談話(しりあがり寿)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
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    ozric 2015/08/14
  • 亡くなった祖父が教えてくれたこと(増原裕子)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    戦争のことを考えるときはいつも、亡くなった祖父のことを思い出す。子ども時代は、近所の畑からサツマイモやサトウキビをとってかじっていたそうだ。16歳のとき「軍に入ればご飯がべられるから」という理由で少年飛行兵に志願したが、住んでいた福岡から鹿児島に渡っての最終検査で眼の異常がみつかり、戦地に赴くことはなかった。その年に終戦を迎えた。 私が小さな頃、祖父はお風呂の中で戦争の話をくり返し聞かせてくれた。祖父が当に戦争に行っていたら、戦争で命を落として、私の父も私も生まれていなかっただろうと思うと、不思議な感じがした。そして怖かった。「戦争は絶対にいけんっちゃ」という言葉は子どもながらに強く印象に残り、今でもはっきりと覚えている。 Photo by Acy Varlan(CC BY 2.0) 中学に上がって以降は、毎年祖父母の家に帰省して夏休みを過ごすこともなくなったが、高校卒業前の最後の春休

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    ozric 2015/08/14
  • 声を上げ続ける――レズビアンである私の視点(東小雪)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    私はレズビアンの女性です。現在、同性のパートナーと渋谷区に暮らしています。 ここ数年でLGBTに注目が集まるようになってから、私はたくさんのメディアに出演してきました。そうする中で、「メディアの裏」まではわかりませんが、「メディアの中」を垣間見ることができたと思います。 大手メディアの現場では、疑問に思うことが多々起こります。 Photo by Umair Mohsin(CC BY 2.0) 私たちが日頃接しているテレビのニュースは、偏見を助長するような演出がなされているかもしれません。 私たちが手に取る新聞記事は、恣意的な編集がされているかもしれません。 「大手メディアが伝えることは正しい(はず)」と、考えることをやめたり、任せたりしてはいけません。様々な情報の中から「自分の頭で考える」ことが何より大切です。 その上で、ひとりひとりがしっかりと声を上げることです。 今の日には、「国が決

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    ozric 2015/08/14
  • この国を、複雑な幸福を守れる国にしたい(メレ山メレ子)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    働けば暮らしが良くなる――そんな時代が、わたしが生まれる少し前まではあったらしい。わたしにとってはカンブリア紀とほぼ同等の現実味ですが、われわれ30代を「夢がない」だの「覇気がない」だのと好き勝手に評してくださる年長者は、いまだその幻想の中に生きているようです。 少なくともわたしには、大きな野望と呼べるようなものはなく、会社員兼文筆家としてもそこそこ楽しく仕事をし、休日には旅行したりレイトショーで映画を観る暮らしがずっと続けばいいなと思っています。今やそれこそが、大きすぎる望みなのかもしれませんが。 映画といえば、先日3回目の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観てきました。核戦争後の世界で、独裁者イモータン・ジョーが支配する砦を女戦士フュリオサとジョーのたち、そして巻きこまれ系の主人公マックスがぶっ潰すお話です。 ジョーは悪役というよりむしろ有能な為政者で、短命な兵士にも信仰を与え

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    ozric 2015/08/14
  • 「ハーフ」ではなく「ダブル」の視点で「今」の自分を考えよう(武田砂鉄)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    沖縄にある、アメラジアンスクールを追ったドキュメンタリー番組を観た。英字で「Amerasian」、アメリカ人とアジア人の両親の元に生まれた子どもたちが通う民間の学校だ。親の離縁などの理由によって、基地を出て、この学校に通うことになった子供たち。煩悶しつつも、境遇としっかり向き合っている。 基地問題に揺れる沖縄を、基地から出てきた子どもたちにどう教えるか。アメラジアンスクールでは、日の教科書とアメリカの教科書を比べながら、双方の捉え方を教えている。オリジナルで作られた教科書は「米軍基地を広げるために土地がうばわれたり、軍用機の事故に住民がまきこまれたりしました」と日からの視点が書かれる一方で、アメリカの視点、「冷戦の中でソ連を封じ込めるためにいかに基地が必要だったか」についても伝えていく。 卒業を迎える女の子は、入学当初、「ハーフ」であることに戸惑っていたが、この学校で「ダブル」の考えを

    「ハーフ」ではなく「ダブル」の視点で「今」の自分を考えよう(武田砂鉄)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
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    ozric 2015/08/14
  • 平和自由宣言(いとうせいこう)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    【平和自由宣言 前文】 私たちの民主主義はここから始まる。 戦後七十年の年に。 新たな私たちの『戦無民主主義』は。 長くかかるかもしれない旅のために私たちは、ひとりひとりのかたわらにこの宣言を置く。 【平和自由宣言 1】 私たちは平和を求める。 それは自由を求めることと同じである。 したがって私たちは宣言の名に平和自由と並記する。 平和抜きの自由はなく、自由抜きの平和はない。 私たちはふたつを同時に目指す。 どちらかを諦めて後回しにするなら、もう一方も失ってしまうから。 【平和自由宣言 2】 平和自由を目指す運動は、参加するあらゆる個人を守り解放する。 そうでないならば結局、運動は対抗する権力と同じである。 運動のために個人が抑圧されてはならず、むしろ個人のためにこそ運動は是正され続けなければならない。 それが不可能ならば運動は内部から疑われるべきだし、時に差し止められても構わない。 【平

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    ozric 2015/08/14
  • 「涙をこらえて歌うだけ」では真の平和は守れない(茂木誠)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    私が子どもの頃、NHKの夜7時のニュースのトップ項目は、いつもベトナム戦争でした。大学生のお兄さん、お姉さんたちがいつもデモをしていて、巷(ちまた)ではこういう歌が流行(はや)っていました。 戦争を知らない子供たち(作詞:北山修 歌:ジローズ) 2番ではこう続きます。 若すぎるからと 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら 今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ (「戦争を知らない子供たち」作詞:北山修 歌:ジローズ ) ベトナムに爆弾の雨を降らせているアメリカという悪い国に対して「戦争をやめて!」と訴える歌です。デモをしていたお兄さんたちも、同じ気持ちだったのでしょう。反戦平和。なんと美しい言葉! でも今はこう思います。 戦争は一つの国だけでするものではありません。必ず相手がいるのです。ベトナム戦争は、アメリカ+南ベトナム政府軍と、北ベトナム+南ベトナム国内のゲリ

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    ozric 2015/08/14
  • ヒップホップと教育で生まれ変わる日本社会(Kダブシャイン)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    いまの日では真実に基づく議論ができない。音より建前が優遇され、それが一つずつ既成事実として重なっていく。都合の悪いことは見て見ぬ振りをする。これはなぜなら、占領によって日歴史が分断されたからだと思う。敗戦後、戦勝国から与えられた価値観により、当の自分たちがどうだったのかを誤魔化し続けてきた。 GHQは占領下の日に恐怖を植えつけ、過去を歪め、民族の誇りと文化を奪い、宗主国に尽くすよう仕向けた。アメリカに行ったとき、この事実と過去に奴隷だったアフリカアメリカ人との共通点を見つけ、彼ら黒人たちが自分たちの自信を取り戻した影響力を持つヒップホップが、日でも必ず有効だと信じて、自分は今までやってきている。 ラップで世の中が変わるのを目撃した。過去の真実を知ることで、来の自分を取り戻すことが、この日でも可能だと思った。その上、格差が広がり、恵まれない子どもが増える将来、若者たちに希

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    ozric 2015/08/14
  • 豊かで複雑で美しい「生命」のような国へ(ドミニク・チェン)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    私は台湾、ベトナムと日の血を引いています。それぞれの国の家族に戦争体験者がいて、第二次大戦中に乗った客船がアメリカの潜水艦に撃沈された台湾の家族もいれば、日の敗戦と同時にロシア兵に追われて満州から大変な思いで帰国したり、広島の原爆投下で被曝したり、ベトナム戦争では敵味方に分かれて戦った家族もいます。いずれの場合も深い悲しみの痕跡が、家族の歴史に刻まれたことは言うに及びません。 Photo by manhhai(CC BY 2.0) 私自身は戦争を経験していません。フランス国籍の人間としては、かつては兵役が存在したのですが、ちょうど私の代で兵役が廃止されたので、軍隊生活も経験していません。なので、戦争に関する現実味のある情報としては、かつての戦争を生き延びた家族の話しか知りません。 しかし、私の生まれ育った現代でも戦争が絶えたことはないし、いまも国家間やテロリスト集団の闘いに巻き込まれる

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    ozric 2015/08/13
  • 息子たちへ(乙武洋匡)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    早いもので、君たちが生まれてずいぶん月日が経ちました。長男である君は7歳、小学校2年生になりましたね。次男である君は5歳、幼稚園の年中さんになりました。それぞれ、学校や幼稚園で楽しく学び、遊んでいる様子、お父さんはうれしく、そして頼もしく思っています。 今年の3月には、妹が誕生しました。わが家に生まれた、初めての女の子。2人ともよく面倒を見てくれているので、とても助かっています。兄妹3人、このまま仲良く育ってくれれば、こんなにうれしいことはありません。 Photo by Wonderlane(CC BY 2.0) そんな君たちも、時にはケンカをします。お父さんは、べつにかまわないと思っています。どうしても見たいテレビ番組があったり、誰かが遊んでいるおもちゃを使いたくなったり、むしゃくしゃしている八つ当たりで、ついつい意地悪をしてしまったり。 人間だから、感情がある。欲求がある。その感情や欲

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    ozric 2015/08/12
  • 70年前の戦争についての小さな3つの記憶(遠藤薫)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    私が物心ついたころ、戦争が終わってもう10年以上が過ぎていた。 それでも町はまだ貧しく、路上で眠っている人たちも珍しくなかった。寒い朝など、もつれた髪の老人の身体に霜が降り、そのままどこかへ運ばれていく光景も見た。そうした人びとを横目に、町は少しずつ復興しようとしていた。 幼かった私にとって、戦争とは、街角に立つ傷痍軍人たちの姿だった。傷痍軍人とは、戦場で重い傷を負い、働くことのできない身体になって日に戻ってきた元兵隊たちだ。 Photo by PIXTA 彼らのうち、ある者は白い着物のようなものを着、白い帽子を目深に被り、義手でアコーディオンを巧みに操り、軍歌を弾いて、喜捨を求めた。脚までも失った人たちも少なくなかった。そうして路傍に立って楽器を鳴らす者もいれば、電車内の狭い通路を進みながら演奏する者もいた。人びとは彼らがそばに来ると、後ろめたげに目を背け、道を除けた。 傷痍軍人たちは

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    ozric 2015/08/12
  • 未来を先取りして今を変えよう――被爆70周年に考える(秋葉忠利)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    被爆後70年の今年は、第二次世界大戦の体験者が未来世代に歴史の教訓を直接伝える上での節目の年です。被爆者の平均年齢は80歳を超え、被爆の実相と、被爆者の「こんな思いはほかの誰にもさせてはならない」という言葉に代表される「和解」の哲学を、劣化しない形で未来世代に送る努力をさらに強化する年でもあります。 そのためには、「広島・長崎講座」のような学問的な整理と若い世代への伝達が重要です。さらに、「ホロコースト学」のレベルでの知的理解が世界的に共有されることも目指したいと思います。それは、「安全保障のために強制収容所が必要だ」という為政者は皆無なのに対して、「安全保障のために核兵器が必要だ」と平気で主張する為政者が多いからです。 同時に、その為政者たちも世界の世論には従わざるを得ない事実にも注目すべきだと思います。核兵器禁止条約などはできていないにもかかわらず、世界全体の持つ核弾頭数は1986年を

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    ozric 2015/08/12
  • 靖国神社をめぐる「意味」の変貌と平和(島田裕巳)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    ここのところ靖国神社のことを調べてきた関係で、幾度となくそこを訪れてきました。 もちろん、8月15日の終戦記念日に訪れたこともありますが、もっとも印象に残ったのが、7月半ばの「みたままつり」のときのことです。境内には、浴衣姿や肌もあらわな若い女性たちが多くつめかけ、それを目当てにした若い男性たちの姿も多く見られました。年配者の姿はなく、家族連れすら珍しい、そんな光景に驚きました。 Photo by midorisyu(CC BY 2.0) 靖国神社と言えば、8月15日の光景ばかりが報道されてきました。騒ぎを引き起こした『靖国 YASUKUNI』というドキュメンタリー映画でもそうでした。 しかし、みたままつりの光景も、靖国神社のもう一つの面を伝えています。一度、このまつりが近づいた時期、中央線の電車のなかで、女子高校生がみたままつりに行くかどうかを話し合っている場面にも遭遇しました。 みたま

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    ozric 2015/08/12
  • 死して首相は愚痴を残す(谷川俊太郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    昨日まで私は日国の首相でしたが、今日はもう首相ではありません。と言っても辞任したわけではなくて、暗殺されたんです。で、今日は首相ではなく死人として、もとい詩人として、じゃなかった私人として一言申し上げます。 日清、日露、日支のあと、真珠湾奇襲で始まった戦争に負けてから70年ですか、生きてたら私はこの世に生まれて83年、戦後70年と生後83年、どっちの年月が大事かと言えば、これはもう言うまでもなく自分の生後83年のほうが大事。 で、83年生きた経験で言えば、いくら反対しても戦争はなくせない。首相在任中は私もいろいろきわどい手をうちましたが、あれは戦争したいがための手ではないつもり。新聞テレビや人には言えない内緒事がいっぱいあるんですよ、複雑な意見、いや利害の網の目に捕らえられて四苦八苦。 とは言え首相なんてやってると、つきあう相手がほとんどハイソの人たちです。どうしてもそっちに引っ張られる

    死して首相は愚痴を残す(谷川俊太郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
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    ozric 2015/08/12
  • ポリタス特集「戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ」を開始します(津田大介)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    は今年、終戦から70年目を迎えました。 昨年2014年の通常国会で波紋を呼んだ集団的自衛権の議論は、同年7月に「新3要件」という足かせが付いた状態で閣議決定され、今年の通常国会に持ち越されました。そして現在、審議されている安保関連法案をめぐって国会内外でさまざまな議論が沸き起こっています。 憲法とは何か。戦争とは何か。今後日が進むべき道はどこにあるのか――。安保法制の議論が紛糾したことで、多くの日人が日の行く末を決める大きな問題について、改めて考えを深めているところではないでしょうか。 戦後70年という節目の年に、新聞やテレビ、雑誌などのマスメディアは多種多様な特集企画を制作しています。それだけ日人にとって戦後70年というのは、非常に大きな意味を持っています。ネットメディアであるわれわれ「ポリタス」も、独自の切り口で戦後70年を考えるための特集記事を公開することにしました。 特

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    ozric 2015/08/12
  • 「オール沖縄」が忘れていること、こぼれ落ちていること(島袋寛之)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    1996年のSACO合意、ならびに翌年の1997年に名護市辺野古への米軍普天間基地移設案が名護市民投票において反対票が優勢であったにもかかわらず比嘉鉄也元名護市長によって正式に受け入れを表明されてから18年。2004年の最初のボーリング調査に政府が着手してから11年。そして2014年の実質的な移設工事開始から1年。その間さまざまな案が現れては消え、状況が変化するごとに問題が起こり、140万余の人口を抱えるこの小さな島は翻弄され続けた。18年という長い年月は、一地方都市を疲弊させるには十分な時間に思える。だが、太平洋地域の安全保障を左右するはずの基地問題は、オキナワにその大部分を押し付けたまま解決の糸口すらつかめていないように見える。 Photo by 初沢亜利 今、沖縄県民はかつてない混乱の渦中にある。島の現状をこう表現すると、「何を今さら。これまでだってずっとそうだったじゃないか」という

    「オール沖縄」が忘れていること、こぼれ落ちていること(島袋寛之)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
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    ozric 2015/07/30
  • 津田大介さん、「安倍政権にNO」集会にご参加あそばされる模様 - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    さすが、メディアアクティビストさまであります。 サイトを見物にいったところ津田大介さんのサムネイルがいっぱい出てて素敵なんですが、他にもいろんなジャーナリストや文化人の方が参加されるんですね。 スピーチには小林節せんせや香山リカせんせ、若い世代からのアピールとしていま話題沸騰のSEALDsの皆さんも参加されるようで、溜池山王に実家のある私としては迷惑なんですけどしょうがありません。脚立とビールでも持って見物にお伺いしようかと思っております。 そして、参加申し込みのところにこんな文言が。 [引用]- 以下へのご同意をお願いいたします。 * 賛同するにあたり、「安倍政権NO!☆0722首相官邸包囲」は市民による完全非暴力の直接行動であることを了解し、私たちは過去もふくめて暴力的な行為による要求実現を行う個人・団体ではないことを誓約いたします。 -- まあ、反政権デモに暴力革命を実現しようという

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    ozric 2015/07/22
    サイトのトップには「集会(デモ)」の告知あるけど引用してるページはby nameで現政権への批判できる人のメッセージを集めてるだけの意見表明ページですよ。何で調べもせずに鬼の首取ったように書くんだろねこの人。
  • 『つぶしてやる』と言われた側の論理(藤井誠二)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    作家の百田尚樹氏が発した自民党青年局での「沖縄の2紙はつぶれればいい」とか「普天間は田んぼだった」という言葉は無知丸出しで恥知らずの発言だが、絶対に看過してはいけない。というのは、そういった発言に喝采を送ってしまう議員たちを選んでいるのは私たちだからだ。多くの自民党政治家たちは、沖縄のメディアに対して百田氏のように口にはしないだけで、同じような思いを抱いている。 「沖縄の反基地の運動はどうせ共産党だ」 とくに沖縄タイムスと琉球新報の2紙については、とりわけ政治的に偏向しているという恨み節はかねてよりあった。例えば、森喜郎元首相が「沖縄には3の赤い旗がたっている。1共産党。あとの2は地元紙の赤い旗だ」と言ったことは有名な話だ。小池百合子議員は沖縄担当相のときに、「沖縄の新聞はアラブに似ている」と言った。つまり「沖縄版アルジャジーラ」だと言いたいわけだ。こうした「沖縄の新聞は偏向して

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    ozric 2015/07/22
  • 辺野古に暮らす私たちの願い(飯田昭弘)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    2014年11月の県知事選挙で、翁長さんが10万票差をつけて勝ちました。割合でいうと、県民の6割が翁長さんを支持し、4割は支持しなかったということになります。翁長さんが勝ったことで、辺野古の地域的に大きな変化がもたらされたかというと、あまり状況は変わっていません。 翁長さんは現政権の「粛々」という言葉に強い抵抗を示しましたけど、私はウチナーンチュであると同時に日人としての自意識も持っています。国防や国益論を前面に打ち出して「辺野古に基地が必要だ」と言われたら、それを全否定することはできないです。とはいえ、基地が来るなら来るで、土足で来られるのは困ります。珊瑚をつぶして海を埋め立てる。騒音被害をまき散らすオスプレイを配備する。誰が見たって、心情からいうとそれは来てほしくありません。私だって音を言えば基地はいらない。 Photo by PIXTA これは沖縄に限ったことではなくて、みなさん

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    ozric 2015/07/13
  • 「変われない沖縄」が生まれ変わるために(樋口耕太郎)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    戦後70年の節目となる慰霊の日に、沖縄がどのような社会になっているのか、振り返ってみたいと思う。 Photo by 柴田大輔 クラクションという「地雷」 沖縄を訪れる観光客は、どれだけ道が混雑していても、誰もクラクションを鳴らさないことに気がつくと、「沖縄の人たちはなんて優しいんだ」と感動する。世界中どこの都市でも街の音と言えばクラクション。那覇市は人口あたりの街の騒音が最も低い都市のひとつではないかと思うくらいだ。ところが、沖縄で暮らして何年か経過すると、これはクラクションを「鳴らさない」というよりも、「鳴らせない」状態に近いということを理解しはじめる。 沖縄社会で「加害者」のレッテルを貼られることほど最悪なことはない 車を運転している私が、往来の激しい国道で、違法に右折しようとしている車を見つけてクラクションを鳴らすと、周囲は違法運転している前の車ではなく、一斉に私のことを見る。違法運

    「変われない沖縄」が生まれ変わるために(樋口耕太郎)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
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    ozric 2015/07/12