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2009年3月9日のブックマーク (4件)

  • ここはらくえん - REV's blog

    柵の中の温室に、バラ園がありました。 そこには、綺麗なバラが咲いていて心が和みます。 薔薇好き*1の人は入園料を払って鑑賞し、そうでない人は近くを通るついでに外から眺めていきます。 そこにある男が通りかかりました。 「入園料を取るなんてあってはならん。美しさを私有する権利があろうか。野に咲く薔薇を愛でるのに対価を払う人などいるだろうか」 と憤慨します。その声を神が聞きつけました。 「では、既得権を守る柵を取り払ってやろう」 神が雷を落とすと、柵やガラスの壁は消えて無くなりました。 これで、誰でも鑑賞できるようになりました。 冬の寒空の下、枯れ果てた薔薇の枯れ枝を。 「もともと、日に薔薇なんて自生していなかった。薔薇が咲くほうが不自然なんだ」 男は満足そうです。 「だいたい、関東平野だって、もともと葦野原の湿地だったじゃないか。そのほうが自然だ」 次の願いは決まったようです。 *1:と書く

    ここはらくえん - REV's blog
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/03/09
    いい話だなー。
  • 知らないことってのはあるものだ - novtan別館

    知らないこと自体が罪、ということはありえないけど、知らない上で罪に該当することを犯してしまった場合、情状酌量の余地があるとはいえ、罪は罪、知ってやったら完全に犯罪。 私はこの姑と件の祖母が重なって仕方がない。悪意がなければいいのか。知らなかったら許されるのか。もしこの子供が死んでいたとしたら、卵が規制されなければならないのか? 「当たり前」を当たり前に行使できない人間のレベルまで、我々の社会は基準を落とさなければいけないのだろうか。 http://d.hatena.ne.jp/tragedy/20090306/p1 こんにゃくゼリーの問題と、物アレルギーの問題は共通している部分もあるけど、ちょっと違うかなあとは思うんですよね。 こんにゃくゼリーの物理的な危険度合いというのは、「注意書きが小さかった」ということを理由に出来る程度には予見可能性が低いように思ったりはします。これだけ報道されて

    知らないことってのはあるものだ - novtan別館
  • 50年生きてみると - finalventの日記

    生きているもんだという驚愕感がある。 私は20歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージで自殺してもなんら不思議でもなかった。ただ、50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが自分を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。 邱永漢も言っていたが、青春で無謀な人生を選んでも、身体は50歳までは生きられるがそのあたりで死ぬ。むちゃくちゃやっても50歳まで生きられるという人生もあるのだろう。下天とはそういうものなのでしょうね。信長も謙信も50歳で終わりと思って生きていたいようだし。 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・打つ・買う、つまり酒、賭け事、女。それと加えるなら自意識過剰。 自意識過大というか自分の才能に

    50年生きてみると - finalventの日記
  • 顔が悪くてもモテる奴はいるが、声が悪くてモテる奴はいない

    人は英語が苦手だと言われる。理由として最初に思い浮かぶのは日語は欧州系言語に比べて、英語の発音と根的に異なるからというものだ。しかし自分の経験から考えると、日語の発音体系に問題があるわけではなく、単に原因は英語っぽく抑揚をつけて喋るのを恥ずかしがってるだけという印象がある。学校の英語の授業を思い出してほしい。音読のときにアメリカ人のように思いっきり抑揚をつけるのは恥ずかしくなかっただろうか?逆に言えば日人でも感情を込めてメリハリある日語をしゃべる人は英語の上達も早い。日語に「抑揚を抑えて発音しろ」というルールがあるわけではないのだ。しかし大部分の日人は英語圏の人々と比較してボソボソ喋るので「感情が伝わりにくい+発音が悪い」と二重のファルターがかかって壊滅的な英語を話すハメになる。 日人は農耕民族だから抑揚の少ない言語が発達したのだ、というのは一理ある。だが能楽師や剣道家

    顔が悪くてもモテる奴はいるが、声が悪くてモテる奴はいない
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2009/03/09
    いい指摘だ。これは物凄く大切なこと。抑揚のメリハリがついていたほうが、聞く相手に的確にメッセージを伝えやすい。