自分にとってはてブって先進的でネタコメにしてもちょっとひねったのをつける人が集まっているイメージだったから(この印象がそもそも間違っていたのかもしれないけど)、「任天堂の倒し方」だの「ラルクはビジュアル系」だの「急にボールが来たので」だのいう古いネタを事あるごとに投稿する人がいたり、何度も繰り返されるそういうネタに☆を付ける人が一定数いたりするのを見ると、なんかこう、こうして人はつまんないおじさんおばさんになっていくんだなーと感じて悲しくなってくる
就活したとき「グローバル人材」という言葉が流行り、私も憧れた。就活時に自分が考えていたのはこんな像だ。 拠点が2カ国以上にある 各国をフットワーク軽く移動 日本以外で通用するスキルがある 海外企業や顧客相手に商売をする 2か国語以上を駆使する 安直だけど、こんなもんだろう。 そして先日、自宅でパカパカとキーボードを叩きながら思った。 「あれ? 私、あのとき憧れたグローバル人材になってね?」と。 今の私は、フリーランサー2年目。イギリスと日本に家がある。顧客は日本とイギリスの法人。年に10回くらい海外移動がある。一応、ギリギリだけど自分の憧れた定義には当てはまってそうだ。そこで感じた現実を語る。私が住んでいるイギリスとの比較が多いのはあらかじめご容赦を。 日本マジパねえっす 海外在住者の多くは1度右翼(というかネトウヨ)になる。美味しいご飯やウォシュレット、にこやかなサービスへのホームシック
渇望 友達がたくさんいる人間に、なりたかった。社交的な人間に、なりたかった。人気者に、なりたかった。 幼少時代から青春時代にかけて、私の交友関係は「無残」のひとことだった。小中高と友人がまったくできず、かろうじて存在した数少ないそれは『パシり』『いじりいじられ関係』という名を与えたほうが相応しいような関係性だった。休み時間は寝たフリ、あるいは図書室の中に引きこもってやり過ごし、体育のペアパートナーは常に体育教師であり、修学旅行では『余り者』として別段仲良くもないクラスの地味グループに、お情けで入れていただいた。 世界が狭い10代の人間にとって、学校に居場所がないという状況は、耐え難い生き地獄だ*1。コミュニケーション能力に対するコンプレックスをこじらせた私は、高校へ通えなくなってドロップアウトし、フリーターとなって数年間を過ごした。 友達がたくさんいる人間に、なりたかった。社交的な人間に、
こんにちは。 最近、帰りに25時までやっているスーパーで半額の刺し身を買って帰るたつおです。 大学卒業してから広告業界5年目に入ったのですが、もう既に都会人の仲間入りをしています。 そんな僕も、出身は山梨のど田舎。スーパーなんてほとんど無い上に、8時には閉まります。 今回は、僕が都会に出て広告業界に入って知った地域による能力格差と、数少ない田舎出身の広告マンの話をしたいと思います。 ど田舎から都会に出て広告業界に入る 生まれたところは標高800m、友達の家までは山を2つ超える 僕の生まれたところは山梨県の北西部。(写真は最寄り駅) 八ヶ岳の裾野、標高800mの町で生まれ育ちました。 辛うじてコンビニと駅がある町で、中学生のお金の使い方はコンビニでの買い食い。 同じ小学校の友達の家に行くにも山を2つ超えないと行けないので、歩いてなんていけません。 映画を見に行くにも、マクドナルドに行くにも1
お酒、好きですか? 最近僕はアルコールを自宅では(少なくとも独りでは)絶対に呑まないというルールを採用しました。というのも、生活が不規則になり独りで仕事をすることが増えましたので、「飲んでいい」となったら呑みながらでも仕事をしていいことになってしまいますし、そのような状態で自己をコントロールするのはおそらく難しいだろう、そういう風に思ったからです。僕は依存性物質に対する自分のコントロール力をとても低く見積もっているつもりですが、それでもまだ過信があるかもしれないとも思います。人生を酒で追い込んだことがあるくせに未だに酒を飲んでいるというのは、自分への過信そのものだと言われても仕方ありません。 とはいうものの、僕はお酒が嫌いではありません。誰かと楽しくお酒を飲み、程よい精神のほぐれ方を良しとする。これは酩酊物質ーいわゆるドラッグ全般ーに言えることなのですが、ドラッグを楽しむにはかなり努力が要
「あんまり長生きなんてしたくないんだよね。若い頃にしっかりと人生を楽しんで、太く短く40歳ぐらいで死ぬ方が、細く長く生きるよりも全然いい」 こういう事をいう若い人は結構多い。僕も若い頃はこんな感じの事をよく言っていた。 ところが働き始めた後、ある程度年配の方と接するようになってみて、この世に未練がある人が驚くほど多いという事がわかり非常に驚いた。 この人達に詳しく話を聞いてみると、この人達も若い頃は太く短く生きるのが理想だったけど、実際に自分が40~60になってみると昔は忌み嫌っていた細く長くの生き方に執着するようになってきたというのだ。 この思考の変換点が一体どこに起因するのかをずっと考えていたのだけど、最近になってやっと納得いく回答が頭の中でえられた。 人は、残りの人生が下り階段のみで構成されると凄く命に執着するようになる生き物なのだ。 今回はその話をしようかと思う。 若者が楽観的なの
ある日、突然、身の覚えのない「殺人犯」と名指しされたことから、お笑い芸人・スマイリーキクチさんの人生は一変した。最初の書き込みは、1999年のこと。仕事が軌道に乗りはじめた頃だった。まさか、この日から10年にわたって、格闘が続くとは思わなかったという。 キクチさんが突然、事実無根の「殺人犯」にされた事件とは、1988年〜1989年に東京・足立区で発生した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」のこと。全く無関係であるのにもかかわらず、2ちゃんねるや個人ブログ、Yahoo!知恵袋などに書き込みは続き、ようやく2009年になって、書き込んだ19人が摘発された。2011年には、10年間の戦いをまとめた「突然、僕は殺人犯にされた」(竹書房)を出版している。 しかし今もなお、殺害予告、中傷はやまない。いまだに事件との関連を示す「根も葉もない情報」はネット上に漂い、殺害予告は、1年に1度くらいはあるそうだ
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