新型コロナウイルスのパンデミックによって、社内で行われる誕生会にカップケーキを用意したり、チームで飲みに行ったりという強制的な「お楽しみ」活動に終わりの時が来た。多くの社員がほっとしている。 ピザパーティーほど楽しいものはないというのは、誰もが認める真実だ。アイスクリームを囲む会を除けば。遠足もとても楽しいし、楽しい課外活動も捨てがたい。
大学4年と就職してから4年、合計8年アメリカで過ごして今年帰国した。 Twitterでたまに「アメリカでは日本より個人が尊重される。恋人ができないから、結婚できないからまともじゃないなんてことを思う人なんていない。他人のことをごちゃごちゃ言うのは日本だけ」ということを言うのを見るけど、そんなことはないと個人的には思う。 便宜上日本人は、アメリカ人はという言葉を使うけどもちろん全ての人に当てはまるわけではない。ただ私がアメリカで住んで肌で感じたことを書きたいと思う。 ・恋愛をしてない人は「かわいそう」 とにかくアメリカ人は愛を重視する傾向にある。離婚率は割と高いけど、それは愛が無くなれば一緒にいる意味なんかないと思うから。世間体よりも愛。 日本では恋人がいないと言っても「あ〜」「出会いないとそうなるよね〜」みたいなゆるい空気が流れると思う。 アメリカでは「かわいそう」「なぜ?」となる。これは
TurchinのAges of Discordでは、19世紀以降に米国で永年サイクルに伴う不和の時代が2回来ていると指摘している。それを示すのが同書の表紙にも使われているグラフ(こちらに載っている)であり、そのグラフの論拠はこちらの書評でいくらか紹介されている。 で、面白い切り口から似たような「2回の不和の時代」の存在を指摘する人がいる。ツイートで紹介されている画像を見れば分かる通り、イデオロギー不和指数(グラフA)と連邦政治の二極化(同B)とが似たような流れ、つまり19世紀から20世紀の変わり目にいったんピークをつけ、足元で再び急上昇するという動きを示している。Turchinのグラフに出てくるウェルビーイング指数とはちょうど真逆の動きだ。 このエントリーの主題は、足元で「資本主義のイデオロギー」がピークを迎えたのではないか、という筆者の仮説を統計的に立証する、というものだ。筆者は資本主義
こんにちは、コッカーマリンです。 普段臨床の現場で接する状況、患者さんやそのご家族を見ていて思うことがあります。 使う薬や機器の値段、関わる人の人件費(もちろん自分の給料も入っています)なんかに思いを巡らせ、そのコストによって達成される目的を鑑みるとやはり疑問を感じないことがありません。 今の病院では、施設からやってくるような誤嚥性肺炎、90歳超え認知症の大腿骨頸部骨折、、 以前の病院ならTAVI(経皮的大動脈弁留置術)、移植医療全般、ICUで血液透析、などなど。 80歳、90歳超えた高齢者に何十万、何百万、場合によっては何千万です。 生命に軽重はないのでそういうふうにお金が使われているのですね。 お金だけではなく、労力もかけられていますが。 医療はもともと人を幸せに、元気にすごせるようにするものでした。 そして医療技術の進化と公衆衛生の向上によって、治らなかった病気が治り、痛かったものが
あの元首相の暗殺事件以来、僕のインターネット熱は急速に冷めているというか、とにかく誰かをうまく責めた者勝ち、みたいなSNSの雰囲気がすごく気になってしまうのだ。それは別に今にはじまったことではないし、僕自身もその雰囲気づくりの一端を担ってきたのはわかっている。だからこそ、うんざりしてもいるのだ。 一度何かで話題になった人が、自分が舞台に立っているときの灼熱感、みたいなものが刷り込まれてしまい、もう炎上なんて嫌だ、と言いつつ、また新たに燃料を投下せずにはいられなくなっているのを見るのも、僕自身がそうだっただけに、傍観しているのもつらくなる。 燃えて燃えて燃えて。 もっとやれやれ、という人と、もういいかげんにやめろ、という人と。 忘れられたくないから、一度浴びた注目は、すぐに過ぎ去ってしまうから、これまで支持してくれた人たちの期待に応えたいから。 なんのことはない、ある日、ある瞬間に、「面白い
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