をしようとしている時点でもう負けなのか? p-shirokuma.hatenadiary.com でも、働くという営みがある一線を超えると、目の前の仕事以外は何もできなくなってしまうことがあり、そうしなければならない局面は人生や社会にはそう珍しくないのかもしれない。いや、珍しいわけがない。そのようになっていく中年はいくらでもいる。すり減りながら働いていく中年。きっと、何かの必然性があってやっているのだ。それが強いられたものか、選んだものか、選んだ結果として強いられる結果になったものかは定かではないが。働きすぎるとブログもSNSもできなくなって視野も狭くなるな - シロクマの屑籠 確か今日の出社中の電車の中だったと思うけれども、上記ブログを読んでなんとも言えない気持ちになった。 なんとも言えない気持ちになったのだけれども、その時はとりあえずはてブして、またいつか考えようと思った。 退社後、全