タグ

ブックマーク / johnetsu.hatenablog.jp (3)

  • もしもメンヘラがひとつの村だったら…―脱メンヘラの人類学講座― - ライフ・イズ・カルアミルク

    「メンヘラ」って概念は果たしてどうかと思っていて、「理性はあるけど教養はない不摂生なバカ」って言えばいいのにと思いますね。 世間一般に言うところの「メンヘラ」に足ていないのは「健康」と「教養」なんだけど、そんな身もフタもない事実に向き合いたくないから「メンタルヘルス」なんていう高尚な概念にすり替えやがる、ってだけで、たのむから石を投げないでほしいんですけど、そういう話をします。 【メンヘラはさっさと健康になれ】 まず健康。早寝早起き・腹八分目を心がけてください。暴飲暴はNG。昼はちゃんと日を浴びること。自分の足で歩くこと。ODしないこと。以上。 以下は教養について話をします。 【教養とはなにか?】 教養とは「理性が依って立つ根拠」です。どういうことか。 「狂人は理性が狂っているのではない。理性以外全部が狂っているのだ」という箴言がありますが全くそのとおりで、ここではメンヘラを「狂人数歩手

    もしもメンヘラがひとつの村だったら…―脱メンヘラの人類学講座― - ライフ・イズ・カルアミルク
    pacha_09
    pacha_09 2013/10/27
  • 「風立ちぬ」で宮崎駿は大人になった - ライフ・イズ・カルアミルク

    宮崎駿、引退ということで。 「この世は生きるに値するんだ」宮崎駿監督、引退会見全文 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/06/news133.html 「風立ちぬ」は巷の評、特に評論家のそれを読むと「『美しいものを表現したい!』という芸術家としての宮崎駿の業」あたりの結論が多いのかなと思います。それを前提にして「こんなもの監督のオナニーじゃねえか!」って怒ってる派と「いや、自分の信じた美を描くことこそ芸術家の使命なのだ」派に分かれてる印象なんだけど、これ、どっちも浅いと思いますね。たしかに一面の真実を指摘してはいるとは思う。思うけれど、どちらも一面でしかない。「宮崎駿はロリコン」くらい、一面でしかない解釈だと思う。 「美しいものを表現する」は宮崎駿が生涯に渡ってずっと追い続けてきたテーマであって、別に作にはじまった話ではありません。 な

    「風立ちぬ」で宮崎駿は大人になった - ライフ・イズ・カルアミルク
    pacha_09
    pacha_09 2013/09/16
  • 「死にたい」なんて絶対言うんじゃねえぞ - ライフ・イズ・カルアミルク

    俺はメンヘラに冷たいし脳の良心を司る部位にまったく血が通ってないクソサイコパス野郎だから、インターネットに「死にたい」とか書き込む奴には絶対に同情なんかしない。バカだと思う。 人間は、自分が信じてることを言うんじゃない。 人間は、自分が言ったことを信じてしまう。 「死にたい」と言葉を発してはじめて、なるほど、俺は死にたいのだな…と納得する。そうして「俺は確かに死にたいはずだ」と、自分が死にたいと思うに値する、確実と思われる証拠を集めはじめてしまう。私はかくの如き状況下に置かれている。これはとてもつらい。ゆえに死にたくなるのも当然である。あなたもそう思うであろう。そういうふうに、実に論理的に考える。 そうして「死にたい」が自家中毒を起こして、ますます「死にたい」としか思えなくなる。バカだなと思うけど。 文章を書くとは、自分の体に毒を回すことでもある。書いた以上は、その書いた文字の表すとおりに

    「死にたい」なんて絶対言うんじゃねえぞ - ライフ・イズ・カルアミルク
    pacha_09
    pacha_09 2013/09/10
  • 1